20代で死ぬほど働いた経験が30代をつくる。

世界一多忙な先生

世界一忙しい日本人学校

上海1年目。

究極に忙しい毎日だった。

 

全部で108通の高校受験のための調査書を作った。

煩悩と同じ108通。

 

70通ほどが手書きだった。

今どき手書きって何だ?

 

指導要録を丸写しする感じ。

「総合的な学習の時間の記録」から「学級係」まで全部。

1年生から3年生まで全部。

 

読むのか?

本当に読むのか?

そこまで調査書を読むのか?

 

「鉛筆書き」→「点検」→「ペンで清書」

それを70通ほど。

ペンダコがしっかりできた。

 

 

ピーク時は朝6時に出勤して深夜2時に帰った。

上海は安全。

たぶん安全。

深夜2時にフラフラ歩いてても安全。

そんな生活を2ヶ月続けた。

 

昼間は保護者と面談。

受験校と必要書類の確認。

子どもたちの帰国に合わせて調査書を渡す。

それをそれぞれの学級担任がやる。

 

 

やはり海外まで来て先生をやろうという人間はナンダカンダで能力が高い。

少なくとも、足を引っ張るような「使えない人」はいない。

都道府県教育委員会と文部科学省の面接でフルイにかけられているから。

 

自分で処理できる。

自分の仕事のケツは自分で拭ける。

そういう先生が集まっていた。

プロ集団だな、と思った。

 

 

ちなみに、海外帰国子女財団から派遣されてくる若い先生たちだって素晴らしかった。

職員室でストレスを感じないってのは、なかなかすごいことだ。

「使えないヤツ」がいない。

 

「初めて先生やります」みたいな先生も能力が高い。

そして、素直。

しかも、謙虚。

素直謙虚ってのは最強の能力だと思う。

職員がみんなすごいから、若い子たちが天狗になることもないんだな。

 

日本の職員室は…。

 

 

で、僕がいた日本人学校では、中3担任は日本でいうところの学級担任と進路指導主事を一人でやる感じだった。

 

赴任するとき、「世界一忙しい日本人学校」と脅された。

赴任してわかった。

 

脅しじゃなかった。

 

忙しさが限界を超えると…

「休み」って書きたいのに、何度書いても「体み」となる。

どんだけ書き直しても「体み」となる。

壊れかていた。

いや、壊れてたな。

 

調査書は空き時間も書き続けた。

授業のために教室に行くと、子どもたちに尋ねた。

「ねえ、前回の授業どこまでやったっけ?」

 

最悪である。

授業者としては最悪である。

でも、終わらないんだもん…。

調査書作成マシーンとなった。

 

 

一人で9校とか受験する子がいた。

そういう子どもが何人かいた。

9校って何だ?

 

日本に戻ってくると、「第一志望に合格したんで使いませんでした」と4通返却された。

涙ながらにシュレッダー。

グッバイ、調査書。

 

 

その忙しさに加えて、生徒指導の案件、不登校生徒の対応。

どこまでも続くトンネルの中にいるみたいだった。

 

 

それが忙しいということだ。

 

頼まれたら断らない男

初任の学校の6年目。

僕は5校の中学校と11校の小学校のある区で、組合の支部の青年部長になった。

勤務時間が終わると、次の仕事が始まる感じ。

知らない世界に触れるのはおもしろかったけど…。

 

その年、夜間中学校の講師にもなった。

週に一度、夕方になると夜間中学校に向かった。

おばあちゃんたちにも理解しやすいよう、手作りで教材を作った。

 

「職場は休んでもいいから、夜間中学校は休むな」

そう言われた。

代わりの先生がいないから。

 

高熱でも夜間中学校に向かった。

最後は立っていられなくて、教卓で寝ていた。

おばあちゃんたちが「先生は寝ていて。私たちはおしゃべりしてるから」と言われた。

お言葉に甘えて、ダウンした。

目覚めると、お供え物のように、教卓の上がお菓子で埋め尽くされていた。

 

「甘いものでも食べなさい」

 

泣きそうになった。

おばあちゃん!

教室にお菓子を持ち込んではいけません。

 

 

授業が終わると、職場に戻って仕事をした。

よく働いたもんだ。

最後は気力だな。

 

 

その年は、研究会もがんばった。

教育研究で全国発表した。

そのために、研究論文を書いた。

6ページあった研究論文。

県の大会で発表したら、全国大会で発表できることになった。

「来週までに、その6ページを12ページにしてきてください」

と言われた。

 

来週って何だ?

そりゃ不可能だ。

でも、やるしかない。

不可能を可能にするのは何か。

 

気力だ!

 

おかげで、優良教員なんてものになった。

なんか表彰されたので。

教員免許状更新講習を受けなくてもいい立場を手にいれた。

そんなこと、すっかり忘れていて、更新講習を受けたのは、どこのどいつだい?

 

 

アタシだよ!

 

 

ついでにその年、部活動を3つ掛け持ちした。

よく、「専門外の部活動を受け持たされて大変」という声を聞く。

まあ、そういうご意見にあまり共感できないのは、こんな経験があるからだ。

 

まずは、6年間受け持ったサッカー部。

ちゃんと県大会まで行ってくれたかわいい子どもたちだ。

 

それから吹奏楽部。

2年前には全国コンクールにも出場した吹奏楽部。

その後、受け持つ顧問の先生がおらず。

廃部する最後の年、僕は吹奏楽部の顧問になった。

 

それを知った保護者が、もう一つ廃部にする予定だった野外活動部の顧問を頼んできた。

学級担任をしていたクラスに部長がいた。

だから、引き受けた。

 

そんなわけで、部活動を3つ掛け持ちしてみた。

放課後はフラフラ見てまわった。

 

もちろん学級担任はあったし、校務分掌も普通にあった。

配慮なし。

 

 

忙しいとは、そういうことだ。

 

 

働くと仕事が増える

そんな生活だったので、若いころは早く帰る先生に腹が立って仕方がなかった。

仕事量の軽重に差がありすぎる。

 

おもしろいもので、仕事ができるほど仕事が増える。

異常な速度で仕事を処理すると、異常な量の仕事がやってくる。

どういうシステムだ?

 

 

給料は年功序列。

働かない人の仕事は減り、働く人の仕事は増える。

つまり、仕事をしない方が得なのだ。

すごいシステムだと思う。

 

 

確かに異常な速度で仕事をしている。

今週は、卒業証書台帳を書き、調査書を作り、推薦書を書き、卒業認定の書類を書き、会計簿を作り、ゲストティーチャーの出張授業の手配をし、卒業文集に朱書きをした。

授業は2学年あるし、定期テストも作り終えた。

学級担任なので、合間を縫って子どもたちの生活ノートに毎日朱書きを入れる。

 

でも、定時で帰る。

 

「どうやって仕事をしているの?」とよく質問される。

一つのルールがある。

 

 

やらなくてもいいことはやらない。

でも、何をやった方がよくて、何をやらなくていいかを判断するのは経験。

 

 

こだわらなくてもいいことはこだわらない。

でも、何をこだわった方がよくて、何をこだわらなくてもいいかを判断するのは経験。

 

 

授業にも、生徒指導にも、学級経営にも、あれにもこれにも、コツがある。

経験がモノを言う。

 

 

で、結局それを手に入れられたのは、20代で死ぬほど働いたからだと思う。

「これ異常やったらヤバいかも…」というぐらい肉体と精神を追い込んだからだと思う。

 

 

だから、「忙しい」とか言いながらスマホ触ってるヤツを見ると腹が立つのだ。

 

 

これから学校現場はもっと大変になる。

要求水準が上がる。

世間の目は厳しくなる。

今でさえ叩きやすい存在だ。

もっと叩かれるようになるのだ。

 

 

もっと力をつけないと、生き残っていけない。

そういう危機感をもった方がいいと思うよ。

 

 

ハッピーな先生になるためのステップ

20代で限界を知っておくと、30代を乗り越える力になる。