「家事をしていること、自慢しているんですか?」という問いに対して思うこと

2月から妻が勤め始めたので、僕は毎日家事をしている。
その話をFacebookに投稿していると、
「くれちゃんは家事をすることをさもがんばっている感じでアピールしている」
と勝手に解釈する人がいる。
そういえば昔、「女性が家事をしているのは当たり前と思われるのに、男性が家事をしていると特別扱いされる。だから、くれちゃんの投稿は好きじゃない」と言われたことがある。
ちょっと今日はこのテーマで書いていきたい。
僕の中では「○○へ旅行に行きました」「○○を食べました」「○○と会いました」という投稿の同じテンションで、家事の話を書いている。
「ハワイに行きました」と「洗濯物を干しました」は同じことである。
「家事は楽しくないもの」と考えている人が多い。
僕は目の前のことを楽しむ能力に長けている。
掃除するのも楽しいし、洗濯物を干すのも楽しい。
何をやっていても、それを楽しむ心があれば楽しいものだ。
SNSを眺めていると、「仕事が辛い」という言葉をよく目にする。
そんなに辛いなら辞めたらいいのに、と思うのだけど、そんなことを言うと叱られる。
「勤務時間外に部活の指導をさせるなんておかしい!」と怒っているツイッター界隈の先生のつぶやきを見るたび、「あなた、それ、知らずに先生になったの?」と驚いてしまう。
職業選択の自由が認められたこの国で、やりたくない仕事をして、そのやりたくない仕事に怒っている人を見ると、僕の頭は「?」でいっぱいになる。
目の前のことを楽しめばいい。
楽しくないなら辞めればいい。
人生なんて死ぬまでの暇つぶしだ。
やりたくないことやってる時間なんてないはずだ。
ある女性に「何をしているときが楽しい?」と尋ねたら、「友だちと旅行に行くのが楽しい」とか「友だちとおしゃべりしているのが楽しい」とか、そんな返事が返ってきたわけ。
ふと、思い出したのは中国の古典である『老子』のお話。
うろ覚えだけど、たしかこんなメッセージ。
「長い」があるから「短い」があるんだよ、って、ただそれだけ。
「長い」があるから「短い」がある。
つまりさ、「楽しい」があるから「つまらない」があるんだよね。
「旅行に行くのが楽しい」でも、家事はつまらない。
「おしゃべりは楽しい」でも、家事はつまらない。
そんな感覚、伝わるかな。
僕は、目の前のことを全部楽しんでいる。
だから、あれは楽しいけど、これは楽しくない、ということはない。
世間の人がつまらないということをいかに楽しむか。
そういう能力があると、人生はすこぶる面白い。
もう一度言うけど、人生は死ぬまでの暇つぶしだ。
楽しくないことをやっている時間が僕らにはない。
だから、楽しくないことはやめよう!とは思わない。
むしろ、楽しくないことを楽しむ力を身につけよう!と思う。
全部、楽しめば良いのだ。
あるオンラインセミナーを聴いていた。
みんながわけがわからない、面白くない、と言う。
腹を立てている人までいる。
僕はその話、むっちゃ面白いな、と思った。
わけがわからない話にツッコミを入れているだけで楽しめる。
要するに、楽しみ方を知っているか、知っていないかの問題なのだ。
最近、確定申告の資料を作成している。
先に売上を入力した後で、経費を入力していく。
すると、払う税金が減っていく。
その数字を見ているのが楽しい。
洗濯物を畳むときは、youtubeで「畳み方」の動画コンテンツを見ながら畳んでいる。
いい感じに畳めると楽しい。
一時が万事、そうやって楽しんでいれば、人生はこんなにも面白いことの連続だ。
ここで大事なのは、自分で自分の行動を選んでいるという実感だと思う。
やらされ感でやっていることは、どんなに楽しいことだってつまらない。
どれだけ美味しい料理だって、自分が食べたいと思って食べているから美味しいのであって、食べたくもないのに、無理やり口に押し込まれたら美味しくない。
やるべきだから。
やらなきゃいけないから。
そんな感じで動いていたら、外でするお仕事も、家でする家事も楽しいはずがないのだ。
自分で自分の行動を選べるって最高だ。
そして、仕事も遊びも家事も全部、これは自分で選んでるんだ、と思えれば人生はむっちゃ面白い。
楽しんでやれば、苦手な人との会話すら、ゲームだよ。
僕はそんなことを考えている。
