出会ってくれてありがとうと思ってもらえる人間でありたい
僕らは「私の命」を生きている。
この命は「私のもの」だと思っている。
それなのに、この「私の命」がいつ尽きるかを、僕らは知らない。
将来のために、一生懸命お金を貯めたり。
老後のために、一生懸命お金を貯めたり。
僕らはいつも未来のために働いている。
人間は1日に6万回も考えるのだそうだ。
あれこれあれこれ、思考を巡らせる。
未来に不安を覚え、過去を悔いながら、生きている。
「生」という言葉の陽ならば、陰にあるのは「死」だ。
人の死に際し、僕はいつも「生きるとは?」について思いを巡らせる。
友人が病で亡くなったという知らせをもらった。
あまりにも突然だった。
闘病生活を続けているとだけ聞いていた。
僕の記憶には元気だったときの姿しかないから、まったく実感がわかない。
赤ちゃんがまだ産まれたばかりだった。
思うところはいろいろあるんだろうけど、心も頭も追いつかない感じ。
自分が自分でない感覚だよね。
僕だって、いつか亡くなる。
この命に終わりが来る。
いつ尽きるか、それは僕にもわからないけれど、必ず今世に終わりを告げる日が来る。
そう、人の一生は致死率100%、命に永遠はない。
最近、祖父母世代の葬儀が続いたから、「見送る側になったか」と思っていたけれど。
ちょっとね、友人の死はそれとは違う衝撃を僕に与えた。
移住するって決めて、子どもたちだけ連れて移住して、フリースクールに参画して。
最後に彼女は、やりたいこと、やったんじゃないかな、って思う。
後悔がないとは思わないけれど、今世を精一杯生きたんだと思うんだよ。
もちろんさ、人生はいつだって道半ばだよ。
たぶんすべてをやり遂げて、全部に満足して、最後に笑って死ぬなんてことは、みんなないんだろうけどさ。
でもさ、やっぱ、今ここ。
今、やりたいこと、やっとかないとダメだね。
いつかやりたい!って思っていても、その「いつか」はきっと訪れない。
俺だって、明日死ぬかもしれないし、明後日死ぬかもしれない。
そんなの誰にもわからない。
だからこそ、今やりたいことを今やっていかないといけないと思った。
それがね、僕が彼女から受け取ってメッセージ。
「くれちゃん、やりたいこと、やってるか?」って。
彼女の写真を眺めながらね、ふと降りてきたんだ。
いつ尽きるともわからぬこの命。
精一杯生きて生きて生き抜いて、いつか尽きるときに、少しでもやり残しのないように生きようと思う。
まだこの心に悲しみが訪れない。
ショックで悲しみが追いつかない。
いや、ショックとは違うかもしれないな。
人の命はその長短で価値が変わるわけではないもの。
やりたいことやって、最後にやりたいことやって、幸せそうな彼女を見て、悲しむのとはちょっと違う気持ちになった。
よくがんばったね。
そんな気持ちになったら、やっと涙が溢れたよ。
出会ってくれて、ありがとうだね。
本当にそう。
お疲れ様と言いたいよ。