理由がなくて、やる気になれるか
言って聞かせてみたところで、人はなかなか動かない。
気づいて腑に落ちて「なるほど」と思ってこそ、人は動き出すのである。
モチベーションという言葉がある。
「上司に叱られてモチベが下がった」とか「彼女に褒められてモチベが上がった」とか。
どうも人間のモチベーションというのは、エレベーターのように上がったり下がったりするらしい。
モチベーションとは「動機」。
「なぜそれをやるのか」という「やる理由」である。
だから、本来モチベーションというのは上がったり下がったりしない。
モチベーションを「やる気」と混同している。
動機には2種類ある。
「内的動機」と「外的動機」である。
成績が下がると親に叱られる。
だから、勉強をがんばる。
売上をアップしないと上司に叱られる。
だから、仕事をがんばる。
このように、動機が自分の外側にあることを外的動機と呼ぶ。
一方で、やりたくてやっているのが、内的動機である。
夢を叶えるために勉強する。
行きたい学校があるから勉強する。
そんな子どもの方が、当然成績が伸びる。
動機というのは、あなたのガソリンのようなもので、ガソリンがなければエンジンは火を噴かない。
「お金持ちになりたい」とか「女の子にモテたい」とか、そんな動機を取り上げて「よこしまな動機」とか「不純な動機」と呼んだりもする。
間違えてはいけないのは、動機に純粋も不純もなくて、本人のガソリンになっていれば良いのである。
他人がとやかく言う必要はない。
とかく人間というのは、清廉潔白を好むから、大義だ志だといって、心にもない言葉を発してみたりする。
世のため人のためになることがしたい。
そういう美しく素晴らしく価値あるものは、自分事が終わってからでも、十分にやれる。
あなたを動かすエンジンのガソリンは、もっと欲望に忠実で良い。
そういうものがないと、人間は動けないのである。
僕らは他者を外的動機で動かそうとする。
その典型が、「叱ってやらせる」というやり方で、これは親たちが好んで用いる手法である。
威圧的な態度で接したり、声を張り上げたりして、相手に恐怖を与える。
罰を与えるのも効果的だ。
おやつ抜きは可愛いもので、スマホを取り上げたり、時には手をあげたりもする。
この外的動機付けの問題点は、それがなければエンジンに火が点かなくなるということである。
親のいぬ間にサボる。
先生の見ていないところでサボる。
動機が外にある以上、その動機のもととなっているものの監視下以外では、効力を発揮しないのである。
だからこそ、内的動機付けをすることは相手を永続的に動かす効果がある。
監視下でしか勉強しない子どもと、四六時中勉強している子どもでは、後者の方の成績の伸びが顕著なのは言うまでもないことである。
受験期、勉強しない子どもがいたら、「勉強しなさい」と言っても効果がない。
そんな状態で学習塾に入れたところで、お金の無駄遣いであり、ドブに捨てるようなものだ。
そんなときは、学校見学に行くといい。
ピンからキリまで「未来」を見せるのである。
卒業生の姿も良いだろう。
それなりに成果を出した大人たちの講演を聞きに行くのもいい。
自分にはどんな未来が待っているのか。
努力した未来と努力しなかった未来はどう違うのか。
触れさせてあげると良い。
受験する当人が現状を理解して、すべきことは何なのか、腹に落ちたとき、人は動き始めるのである。
これは仕事でも同じだ。
現状を知ったうえで、未来を想像する。
すると、それぞれの内側に「動機」が見つかる。
これを「やる理由」に動いていくのである。
動機がなければ人は動かないことを忘れてはいけない。
あなた自身が、思うように動けていないならば、まずは自分自身の「やる理由」を見つけていきたい。