自分のこと、大切にできていますか?自分を蔑ろにしていませんか?
優しすぎるあなたへ
目の前の人を喜ばせるために何ができるだろう?
そんな問いをいつも心に置いて生きている。
でも、そんな生き方がときおり苦しくなる。
誰かのためにエネルギーを注ぎ、自分は辛い思いをする。
そんなことってないだろうか?
人を踏み台にして生きていられるような人もいる。
他者に依存して食い散らかすような人もいる。
でも、たぶん、あなたは僕の文章を読んでくれるような人だから、きっと心の優しい人で。
だからこそ、他者のためにエネルギーを使い過ぎてしまうような人かもしれないなって思うんです。
自分自身を蔑ろ(ないがしろ)にしていませんか?
そんなメッセージが降りてきました。
他者を大切にするがあまり、自分自身を大切できていない。
そんなことはないでしょうか。
誰かのために、は大切なことです。
でも、それが自らの喜びにつながっていなければならないんじゃないかって思うわけです。
目の前の人が喜んでくれる。
その姿を見て私もうれしい気持ちになる。
そうやってエネルギーは循環し増幅します。
幸福感ってやはり、分かち合うからこそ大きくなると思うんですよね。
でも、「目の前の人を喜ばせなければならない」と考えてしまったらどうでしょうか。
義務感から動くと、やっぱ苦しくなります。
例えば、人間関係を壊したくないから「相手の要求を飲む」とか。
ここ最近、セックス依存症の話を書いていて思ったんです。
たとえば、そういう相手の欲求を満たすために我慢してそういうことをしなきゃいけないとか、そういうことってないのかな、とか。
セックス依存症の話を書いたのは、斉藤章佳さんの『セックス依存症になりました』(集英社)という漫画を読んだのがきっかけです。
んで、今度はなんでそう思ったかというとさいとう香さんの『初めて旦那以外とセックスした話 〜大丈夫。もう奴隷じゃない〜』を読んだのがきっかけです。
いわゆるドキュメンタリーというかルポのような漫画をぼんやり眺めていて、「あぁ、そういうこともあるのだな」といろいろな気づきをもらっています。
雑貨屋さんを営みながら障害児を育てるお母さんが、そのお店にやってきた障害者の男性、彼は10才以上も年が離れているのだけれど、そんな彼と恋に落ちていく、そんな物語でして。
旦那さんが全然大切にしてくれなくて。
義務的なセックスと申しましょうか、したくないのだけれど求められるからしてきた。
相手は欲望のままに自分を抱く。
自分の気持ちはそこに向かわない。
年齢を重ねてからは、自分から求めないと始まらない。
でも、本当にそれがしたいのかもわからない。
自分なんて。
自分なんて。
自分なんて。
女性としてはもう終わってんだ。
誰にも相手にされないんだ。
そんなとき、素直な、いや素直すぎる彼に出会いました。
そんな物語を読みながら、なんかセックスってストーリーがあるなぁと思いました。
人間関係って物語なんだよね。
だって、そんな話、あまり他人にしないじゃないですか。
自分はどんなセックスをしていて、どんなことを望んでいて、逆に何が嫌で、とか。
それってしかも人間の本質というか、原点というか、自己肯定感とか自己存在理由とか、いろんなことに関わってくるんだろうな、と思いました。
日本ではタブー視されるようなテーマなんだけどね。
でも、無視しちゃいけないテーマだと思うんだよな。
で、そんなことを思っていたら、「自分を蔑ろにする」っていう言葉が降りてきてね。
自分を大切にできないってことは、言い方を変えると自分を虐待しているものなんだよな、と思って。
いや、これ、セックスの話に限らずさ、生活のすべてにおいて言えることだと思うんだ。
自分を大切にしていますか?
自分より他者を優先していませんか?
いい人って思われたいから。
嫌われたくないから。
好かれたい、愛されたい。
そりゃ、誰しもそう思うけれど、そのために自分を殺しているとしたら、それはやっぱ違うんじゃないかな、って思うわけです。
優しすぎるあなただから、自分のことを大切に扱ってあげてください。
まずは美味しい物、食べたい物を食べるような、些細なことで構いません。
優しすぎるあなたが優しくする相手は自分なんだ。