願望を叶えるならば理性と感性で生きよう
人間は感情的な生き物である。
だからこそ、そこにはルールが必要になる。
感情のままに行動していては野生動物になってしまう。
不良少年たちと話をしていると、「なんとシンプルなのだろう」と驚かされる。
「目が合ったから殴った」みたいな話を聞くと、「まさに野生動物だな」と思う。
動物園の猿の食事風景を思い出してほしい。
彼らは背中合わせで食事をし、決して目を合わせようとしない。
視線がぶつかれば、食べ物の取り合いになる。
だから、互いに目を合わせないのだ。
そんな話を本で読んで、「ヤンキーたちといっしょやん」と思った。
「目が合ったから殴った」
「なんかムカついたから殴った」
それで、「何に腹が立ったの?」と尋ねると、「なんとなく言い方が気に入らなかった」と言う。
彼らのなんらかのセンサーに反応したのだろう。
この感情をコントロールするのが理性である。
では、理性的であれば良いのかというと、そういうものでもない。
理性はハンドルのようなものだ。
行動をコントロールすることはできるが、エンジンに火を点けることは難しい。
「怒り」にしろ、「悲しみ」にしろ、そういった心の動きの方がガソリンになりやすいのだ。
早い話、欲望は人間を動かすエネルギーになる。
だから、人を動かそうと思ったら、欲望を掻き立てることである。
感情を動かすことである。
だが、それでは野生動物になってしまう。
そこで理性でハンドルを握るのである。
理性と感性は二つで一つなのである。
自分の願望を叶えるためには、どちらも必要なのだ。
理性的な行動を促すためにも、ルールは必要なのだろう。
欲望のままに動いたら人間は動物になってしまうからである。