カラダからのメッセージを無視するとどうなるのか
「ココロのあなた」が疲弊すると、「カラダのあなた」がメッセージを送る。
これがさらに進んだ状態、つまりはカラダからのメッセージを無視し続けるとどうなるか。
鬱状態というのは、まさにこの状態らしい。
あなたがカラダの声を無視すると、今度は「カラダのあなた」側が反旗を翻す。
「ココロのあなた」がどれだけ肉体に訴えかけても「カラダのあなた」が反応してくれないのである。
通常、肉体の支配権は「ココロのあなた」が握っている。
ところが、「ココロのあなた」が無理をしていると、「カラダのあなた」は「コイツに肉体は任せておけないな」と考える。
弱っている「ココロのあなた」に肉体の支配権を与えてしまうと、自傷行為や、挙げ句の果てには自死に至ってしまうから、支配権を奪うのである。
「頭ではわかっているのに体が動かない」という状態は、まさに「ココロのあなた」が有する肉体の支配権を「カラダのあなた」が奪っている状態を指す。
したがって、心が病んでいる人に「がんばれ」と言ったところで、もう「ココロのあなた」ががんばろうとしても、「カラダのあなた」がそれを許さないので、「がんばれ」の一言が相手を追い込むことになる。
病んでる人に「がんばれ」が禁句なのは、そんな理由である。
躁鬱状態で心病んで自死に至る人がいる。
鬱状態で、心がひどく落ち込んだときの自死を選択するかというと、実はそうではないのだという。
鬱状態では「ココロのあなた」の肉体を支配する権利を「カラダのあなた」が奪っているので、とにかく動けない。
これは外から見ると無気力な状態に映る。
言い方は悪いが、死ぬ元気すらないのだ。
一方、躁状態のときは一時的に「カラダのあなた」が奪っていった肉体の支配権を「ココロのあなた」が取り戻すのである。
とはいえ「ココロのあなた」は健康的な状態ではないから、「今ならなんでもできる気持ち」になる。
健康な状態の「なんでもできる」ではなく、不健康な状態の「なんでもできる」だから、これは外から見ると自暴自棄に映る。
こんなとき、人は自死を選択する可能性を有している。
心のお医者さんに話を聞くと、元気になったなと思って退院した直後に、自死を選択してしまうことがあり、そのたびに後悔するというのを聞いたことがある。
本当に「ココロのあなた」が健康を取り戻したのか、それとも一時的に肉体の支配権を「カラダのあなた」から奪い取ったのか、この判断はなかなか難しいようだ。
忘れないでほしい。
あなたは決して1人ではないということだ。
あなたが日常で認識しているのは「ココロのあなた」である。
だが、もう1人、あなたの中にはあなたがいて、その人はいつもあなたを見守っている。
カラダの声は言葉ではないので聴き取りにくい。
言葉を話せない友人があなたのそばにいるのである。
だから、あなた自身が意識して「カラダのあなた」の声を聴きに行かなければならない。
ところが、この表層部分をウロウロしている「ココロのあなた」もまた、あなたではないとしたら、一体あなたとは何なのだろうか。