僕たちは全然論理的じゃない
人間は感情の生き物である。
論理で理解して感情で行動する。
自動車を買うというのは、大きな買い物である。
たくさんのお金を支払うのだから、あれやこれやと吟味する。
インターネットの情報や自動車雑誌を読み漁り、街行く車に目をやる。
手に入ったあとの日常を夢想したりもする。
論理的に、この車はここがいい、あの車はここがいい、と思考を巡らせる。
ところが、自動車ディーラーに行って営業マンから掘り出し物が提案されたりした日には大変だ。
「欲しい」と思った瞬間、すべての条件はどうでもよくなって「これください!」となる。
これが衝動買いである。
人間の行動は感情で決まる。
結局のところ、なんだかよくわからないけれど、欲しかったから買ったのである。
ところが、人間というのは面白い生き物で、ここから説明が始まる。
なぜこの車を買ったのかを、論理的に説明し始めるのである。
「いろいろ調べたんだけど、この車が一番よかったんだよね。だって限定カラーだったんだよ」とか言ってしまうわけだ。
昨日まで「車の色は売りに出したとき高く売れるから黒か白だな」とか言ってた人間が、手のひらを返して限定カラーを選んだりもする。
よくわからないオプションとか、出たばかりの新古車とか、理由なんてどうでもよくて。
ただ、感情で買った自分を表現するのは、どこかカッコ悪いところもあり、後付けで理由を生み出していく。
子どもの喧嘩も同じである。
「なんで殴ったの?」と大人が嗜めると、子どもたちはあれこれと理由を述べる。
「殴った」という事実は一旦棚の上に置いて、いかに自分が正しいかを論理的に説明しようとする。
「あいつの態度が気に入らなかった」
「あいつが先に手を出した」
「あいつは日ごろから僕にちょっかいを出してくる」
大人はそれを聞いて「言い訳するな」とか言ってしまうわけだけど、それを言われた側の子どもは尋ねられたのに聞いてもらえなかったという印象だけが残る。
何度もいうけれど、人間は感情で行動する。
だから、早い話、殴った理由なんて「ムカついたから」なのである。
腹が立って手が出ただけなのである。
そういう感情を理解したうえで、「では、なぜ腹が立ったのか」を聞いてあげると良い。
すると、「あいつの態度が気に入らなかった」
「あいつが先に手を出した」
「あいつは日ごろから僕にちょっかいを出してくる」という言葉たちが色彩を取り戻していく。
「そうかそうか、そんなことがあったんだね」と対話が始まるのである。
僕らは1日に6万回も思考を繰り返すという。
脳みそ使いっぱなしなのである。
で、頭で考えているわけだから、さぞや僕らは論理的に行動していると思いがちである。
ところが、残念ながら僕らはまったく論理的ではない。
行動を司っているのが感情ある以上、僕らはわけのわからない行動を繰り返していることになる。
つまり、意識の表層で肉体を支配している「ココロのあなた」というのは、論理的ではなく感情的な存在なのである。