「あぁ、日本人だなー」と思ったお正月withクリスマスツリー
年明け、オランダ在住の女性とオンラインでお話をさせていただいた。
背景にクリスマスツリーが飾られていたので、僕は少し揶揄した気持ちで「まだツリーを飾られているんですか?」と尋ねた。
彼女はさもありなんという表情を浮かべて「こちらはゴミ回収が7日なんで、そのときまで飾ってます」と答えた。
思うに、僕らの暮らしには日本の文化というのが確かに根付いていて、クリスマスが終わるとさっさと片付けてしまい、正月の準備を始める。
お正月には門松であって、クリスマスツリーはそぐわない。
海外のお正月は、どこか日本のクリスマスに似ている。
ハッピーニューイヤーはただのイベントであって、そこに深い意味はない。
ただ、昨年が終了し、新しい年が来ただけのことである。
多くの国民にとっては、日本のクリスマスに宗教的な意味合いはほとんどなく、ただのイベントである。
クリスマスツリーを飾り、ケーキを食べ、プレゼントを渡す。
讃美歌を歌うわけでもなく、神様に祈りも捧げない。
日本人は無宗教を気取ることが多いけれど、年が明ければ初詣に出かけ、手を合わせてこれから1年の無事を祈願する。
イスラム教の聖地メッカには年間で200万人以上が巡礼するという。
ところが、初詣客だけ見ても、東京の明治神宮で310万人、京都の伏見稲荷で277万人、名古屋の熱田神宮で235万人。
比較にならないほど日本人は神様に手を合わせ、おみくじに一喜一憂しているのだ。
先日、経営者と年末年始の過ごし方の話をしていて、大晦日まで働いていたという話をしていたら、会社勤めの女性がたいそう驚いていた。
お盆にしろ、年末年始にしろ、カレンダー通りに生活するのが当たり前の人にとっては、大晦日まで働いているというのは、異常な働き方かもしれない。
しかし、僕らにとって年末年始は1年365日のうちの1日に過ぎない。
盆と正月、夏休みに春休みに冬休み。
そんな混雑する日に合わせて、休日を楽しもうとは思わない。
よくよく考えれば、全体が休みになるときはホテルも飛行機も遊園地も価格が上がり、その上で混雑する。
コスパもタイパも悪くなる。
だが、それが当たり前なのだ。
僕らの暮らしはカレンダーに洗脳されているともいえ、それに従わない生き方はある種の異常性を持っているともいえる。
こんなことを書いている僕も、元旦に熱田神宮に出かけた。
入場制限がかかるほど混雑した境内で、神様の順番待ちをしていた。
コスパもタイパも悪くいのだけど、それでも初詣に行きたくなるのは、やはり僕が紛れもない日本人だからだろう。
そういえば、上海で暮らしていた頃、お正月はなんだか寂しいものだった。
中国をはじめ台湾やシンガポール、マレーシアなどは旧暦で新年を祝うため、1月1日はただ西暦が変わるだけの日であり、さほどお祝いムードがない。
インターネットテレビで「紅白歌合戦」や新春特別番組を見ながら、外を歩けばいつもと変わらぬ日常が待っていて拍子抜けしてしまった。
一方で、「春節」と呼ばれる旧暦の新年を祝う日がやってくると、そこかしこで爆竹が鳴らされ、花火がこれほどかというほど打ち上がり、街全体がお祭り状態となる。
ところが、残念なことに日本人のDNAはこの時節にお祝いモードにならないのか、特別にワクワクすることもないのである。
そもそも日本のお正月か厳かであり、爆竹をバンバンするのは似つかわしくない。
そんなわけで、お正月というのは否応なしに自分が日本人であることを自覚させられる日でもある。