「使わせない指導」は教育ではない。
「使わせない指導」は教育ではない
LINEでのトラブルは多い。
それで、学校で「LINEの使い方」を指導してほしいという要望が届いた。
正直言えば、「それを買い与えたのはだれですか?」って話なんだけど。
それでも、僕らは指導することにした。
ところが、だ。
先生たちは、LINEを使ったことがなかった。
8割方、使ったことがなかった。
すると、どういう指導になるか。
「使い方」の指導ではなく、「使わない指導」になる。
危険性を指摘し、使わないように指導する。
そんなもん、子どもたちが聞くわけがね〜わな。
それって、時代と逆行しているよね、って思う。
子どもたちと、ともに学ぶ。
で、これから始まるプログラミング。
早期の英語教育。
道徳の教科化。
これはもう、負担は増える一方だな、と思う。
僕は国語の先生だった。
授業でキャッチコピーなんかを考えたりする時間があった。
でも、思う。
僕はコピーライターじゃない。
それを専門的に学んできたわけでもない。
それって、LINEの話と同じじゃないかな、と思うのだ。
スピーチの指導をする。
でも、スピーチの専門家でもない。
作文指導もする。
でも、書くことの専門家でもない。
専門家でもない人が、専門家のふりをして指導している。
そのことを腹に落としたとき、「ともに学ぶ」という姿勢に変わる。
教える側の人間ですら、未開発である。
子どもたちには無限の可能性があることが理解できる。
一緒に学んで、学んだことをシェアし合う。
そういうことが必要ではないかと思う。
先生は、「良き使い手」ですか?
んでね、これからの時代は、LINEもそうだけど、SNSとかも当たり前に使う時代じゃない?
だから、先生たちも上手に活用していけるといい。
ある県では、「先生たちはSNSを使うな」と言われているらしい。
保護者や子どもたちの「目」があるから、と。
結局、「使うな」ってのは指導ではない。
いかにして、「良き使い手」を育てるか。
それが、教育だと思う。
そして、「良き使い手」を育てるには、自分自身が「良き使い手」になる必要がある。
僕は「国語の先生」こそブログを始めるといいと思っている。
2年も書いてて思うのは、手書きの文章とパソコン上の文章は別物ということ。
原稿用紙に手書きする時代なんて10代で終わる。
そこから先の数十年は、ほぼパソコンで書く。
いや、打つ!
まあ、結局使わないと使えないからね。
先生こそ、いろんなものをまずは使ってみるといいと思う。
「使い手」にならないと教えられないと思う。
以前、ある先生から「パソコンのキーボードをひらがな入力にしてほしい」と言われた。
ひらがな入力…。
プログラミングを教える前に、まずそこだな…。
ハッピーな先生になるためのしつもん
まだ使ったことのないものは何ですか?