教育者はハイブリッドで行こう♪
僕が僕であるために♪
僕は「何かの人」になりたくない。
今、『魔法の質問』に関わっています。
けれども、『魔法の質問の人』になろうとは思いません。
『魔法の質問』の素敵なところは、そういうことを強要されないことです。
認定講師やマスターになった人は、『魔法の質問』を名乗ってもいいし、名乗らなくてもいい。
その人がしたいようにすればいい。
僕はその感じがとても好きで、『魔法の質問』に関わっています。
僕は僕でありたい。
そういう思いが、常にありました。
属さない人でありたい
研究会に入っても、目の前の仕事は精一杯やるのですが、じゃあそこにどっぷり浸かろうかというと、そういう気持ちはありませんでした。
何かのコミュニテイに属する。
それに安心する人はいます。
でも、それぞれの世界には「こうでなければならない」が存在するんですね。
排他的になる。
囲い込む。
そういう部分が少なからずあります。
そういうのって「面倒臭いなぁ」と思うのです。
最初に勉強したのはTOSSでした。
自己流の授業から抜け出したかった僕にとって、TOSSのやり方はとても勉強になりました。
けれど、その世界にどっぷりハマることはありませんでした。
「TOSSではこうです」
「TOSSではああです」
と言われるたび、正直「メンドクセーな」と思ったんです。
「どーでもいいことは、どーでもいい」って言えた方が楽じゃね?って思うわけ。
だって、僕は僕だから。
こんなことを教わりました。
「はーい、じゃあ、教科書82ページを開きましょう」って言うでしょ。
あれはダメ。
「教科書82ページ」って指示したら、さっと開くように教育するの。
一流の先生だと、「82」って言えば、さっと開くの。
すごいでしょ?
なんだそれ?
いや、すごくねーし。
って言うか、どうでもいいし。
そう思いました。
口には出しませんが…。
良い部分は良いけど、どーでもいいところはどーでもいいんだよね。
「こうでなければならない」はメンドーじゃ!
何かのコミュニテイに属すると、「それは素晴らしくて、他はダメ」みたいになる。
そういうのは、面倒臭いなって思うのです。
世の中にはいろんな手法がある。
いろんな教育スタイルがある。
それぞれの教育を否定はしない。
ただね、それしかダメ!みたいに言われると、ちょっと面倒くさいんだよね。
それよりもね、それぞれの良いところを取り入れる。
いろんな教育に触れる。
良いところを吸収する。
それがおもしろいじゃん、って思うわけ。
100人いれば100通り。
1000人いれば1000通りの子育てがあって、教育があって。
そんなの子どもありきだから。
何一つ正解なんてないの。
まして、ここ日本はね、世界って視点で見れば、独特の文化をもった国。
他国の教育をそのまま持ち込んだって、なかなかうまくいかないんだよね。
ハイブリッドで行こう!
だから、ハイブリッドがいいと思うんだ。
教育者は、もっとスポンジのようでありたい。
教育はハイブリッドがいいんだよ。
常にいろんなものを貪欲に受け入れながら、バージョンアップさせていく。
だって、それこそが日本の日本らしいところじゃない?
引き出しの中にたくさんコンテンツをもっておいてね。
子どもたち見ながら、コンテンツを選ぶんだな。
教育者が教育の道を極めようとすれば、必然的にそうなると思うのだ。
何かに属して、それを広めるのも悪くはない。
でも、それじゃ教育の道は極められないと思うんだよね。
だって万能なものなんてないんだもん。
これ、まさに教育道なわけ。
んでもって、この道に終わりはないじゃない?
だから、ゴールなんてないのよ。
そう考えているから、広めよう的な発想がないんだよね。
子どもをよく見るでしょ?
圧倒的に学ぶでしょ?
圧倒的に実践するでしょ?
その繰り返し、繰り返し。
教育者ってのはさ、「自分自身を教育すること」に長けてなきゃなって思うのさ。
「こうでなければならない」を手放して、しなやかに変化していく。
そんな柔軟さが必要だと思うんだよなぁ。
教育なんてさ、ハイブリッドがいいんだよ。
ハッピーな先生になるためのしつもん
どんなことを学びますか?