児童虐待について考える

家族って何だろう?.

児童虐待の話

児童虐待の問題がおこるたび、

「学校は気づけなかったのか」とか

「児童相談所は何をやっていたのか」となる。

 

 

だが、実情を知っている僕は、 どうしても学校や児童相談所を責める気持ちにはなれない。

 

 

今、児童虐待は年々増加している。

だが、児童相談所の職員は明らかに少ない。

一人で50件近くも案件を抱えていたりする。

まあ、僕の知ってる児童相談所は、って話で聞いてね。

 

 

児童相談所は、児童虐待だけを取り扱っているわけではない。

本当に多岐に渡っている。

 

 

保護したくても、保護する部屋がなかったりする。

「一時保護」させたくても、内容の軽いものは、帰宅させるしかなかったりする。

 

 

学校から児童相談所に連れていった場合、 確実に保護者と学校の関係は悪くなる。

虐待する親から子どもを取り上げるわけで、 そりゃ、もうね、敵対関係になることも多い。

最悪なのは、そんなリスクを負って児童相談所に連れていったのに、速攻で家に帰らされることだ。

また、保護施設での環境に馴染めず、逃げ出してしまうこともある。

生まれながらに虐待を受けてきた子の中には、それが日常だったりして、母親のもとに帰りたがる子もいる。

 

 

まあ、ホントにいろんなケースがある。

こんなもん、マニュアル化できるものじゃない。

 

 

とにかく子どもと対話に対話を重ね、記録という記録をかき集め、入念に関係各所と連絡を取り合い、行くときは一気に行く。

かなりのエネルギーをかける必要がある。

そして、なにより覚悟が必要だ。

 

 

まあ、そんな案件を一人で何十件も抱えている児童相談所の職員という仕事は、厳しいよなぁと思う。

 

 

しかも、若い職員が多かった。

その年齢で、家庭の問題を扱うのって、大変だと思う。

「公務員試験に受かったら、配属されたのが児童相談所でした」みたいな人も多いわけで。

 

学校としても、管理職か生徒指導主事に、この手の問題を何度も扱ってきたスペシャリストみたいな人がいないと苦しいよなぁって思う。

 

 

けっこう行政からあてがわれた「子どもを支援する人たち」が役に立たなくて、イライラしたこともあった。

「僕らはあくまでもアドバイザーですから」みたいな。

「いやいや、お前らの知識、俺以下じゃん!」ってカチンときたね。

 

 

そんなわけで、実は「学校の先生」も「児童相談所」も必死になってがんばっている。

ただ、その姿は案件が案件だけにまったく外からは見えないわけだけど。

 

 

生徒指導の会議の案件が、「家庭の問題」があまりにも多くて驚いたことがあった。

「すいません、校内の問題がひとつもないんですけど…」みたいな。

 

 

 

問題は学校や児童相談所ではなく、その案件の多さだと思う。

 

 

核家族が当たり前の時代になって

僕は16年前からずっと核家族化が子育てを難しくすると考えてきた。

僕が赴任した学校では。「祖父母と同居」って家庭は珍しかった。

 

 

家庭ってのは子どもたちの生活のプラットフォームなわけだから、ここを整える必要がある。

 

 

それはもう、経済的な負担にばかり光があたりやすいんだけど、実はお金よりも時間の方を支援してもらいたかったりする。

 

 

そういう意味では、祖父母と暮らしている子は安定しているなぁと、感じてきた。

あくまでも、僕の主観だからね。

 

 

んで、これは祖父母がいいんじゃなくて、父ちゃん母ちゃんに余裕が生まれるってことが大きいんだと思っている。

「ちょっと見ててもらえる?」って言える環境っていいよね。

 

 

お母さんを孤独にするな

まあ、そういうことを隣近所で補えあえれば最高なんだけど。

昨今は隣人を騒音で殺めちゃうような時代じゃない?

「知らない人に挨拶しちゃダメよ」って時代じゃない?

社会全体が批判的であり、徹底的に叩く文化ができあがっている。

 

 

問題の根底はこっちにあって、けっこうお母さんたちが孤独だったりする。

 

「お母さんを孤独にするな」

 

これ、生徒指導の鉄則だったな。

お母さんのケアって、すごく大事だった。

 

 

世界が「子どもと私」だけになっちゃうと苦しい。

「子どもがすべて」みたいな感じなっちゃう。

世界が「子どもと私」だけになっちゃうと苦しい。

 

 

ワンオペ育児

「読売新聞」の記事で「ワンオペ育児」ってのを読んだ。

ワンオペ育児ってのは飲食店で従業員が一人ですべての業務をする「ワンオペレーション」が問題になったことからの造語らしい。

母親に育児と家事が偏っている状況を示している。

 

 

一方で、一時浸透した「イクメン」という言葉に対する批判的な意見も多い。

なんで母親の育児は「やって当たり前」なのに、男性の育児はもてはやされるのか、みたいな意見だ。

 

 

育児しない男性は多い。

そういう意味では、「イクメン」って言葉が流行って、男性が少しでも育児に参加してくれるなら、その方が良さそうなものだけど、心の動きってのは、ちょっと複雑なわけだな。

 

 

「ワンオペ育児」は問題だ!

でも、「イクメン」って言葉は気に入らない!

みたいに、ちょっと苦しい状況が生まれている。

 

 

僕はいろんな父ちゃんにも会ってきた。

まあ、基本は夫婦の対話ですな。

対話がないんだろうな…、みたいな。

 

 

懇談会で、僕の方から話を促してあげて、ようやく互いの考えを知りました…みたいなね。

 

 

「コイツ(息子)が、どこの高校を希望してるのか知りたくて来ました」って父ちゃんがいたなぁ。

それ、「家で聞けよ」みたいなね。

 

 

「お前(妻)に任せておいたんだぞ」みたいな夫婦喧嘩が始まったこともあったなぁ。

 

 

一方で、

シングルマザー、シングルファザーも増えている。

今や、まったく珍しくない。

 

 

んじゃそういう家庭の子どもはどうかというと。

これはもう、僕の見てきた範囲の話で聞いてもらえればいいんだけど、ちゃんと子供は育ってるんだよね。

 

 

がんばってる父ちゃん母ちゃんのことがわかってて、たくましく生きてる。

そりゃ、多少は寂しい思いもしてるのかもしれないけど。

ほどよく手放されている分、成長してるなぁって感じる。

 

 

やっぱ一番大変なのは、「夫婦仲が悪い」「父親の顔が見えない」って家庭かな。

夫婦の対話がなく、お母さんが孤独って感じが一番厳しいように感じる。

 

 

 

 

 

ミャンマーの家族事情

先日、瀧本光静先生の法話ライブを聞きに、東京まで行ってきた。

光静先生のミャンマーの土産話がおもしろかった。

 

 

ミャンマーの人たちの生活環境は大変劣悪で、衛生的ではないそうだ。

狭い部屋で家族が身体を寄せ合い暮している。

 

 

そんな折り、光静先生は現地日本法人に講演に行かれた。

そこには、日本語が堪能なミャンマー人が待ち受けていた。

 

 

その企業では、3ヶ月の研修期間があって、その間日本へ渡航するのだそう。

汚れたトイレ、地面に布きれい1枚で眠る暮らし。

お湯だってすぐに止まるし、停電もする。

 

 

そんな彼らが、3ヶ月も日本で暮らす。

柔らかなベッド。

空調機器でいつも快適な部屋。

常にお湯が出て、停電はしない。

必要なものは何でも手に入る。

そんな日本での暮らしだ。

 

 

そこで、光静先生は尋ねた。

「一度、日本の暮らしを体験されて、どう感じましたか?」

 

 

彼らの答えに、耳を疑ったそうだ。

 

「日本は寂しい国だと思いました」

 

ミャンマーでは、生涯ひとりで暮らすということがない。

家族が身を寄せ合って暮らす。

結婚すれば、男性の家族と身を寄せ合って暮らす。

それが当たり前。

 

 

食事は、みんなで分け合って食べる。

食べる物がなければ、隣の家からもらう。

隣の人が食べ物がなければ、分け与える。

だから、「老後の心配」という概念がない。

 

 

「いつか一人暮らしがしたい!」

という若者が多い日本人とはものの見方や考え方が異なるわけだ。

 

 

「日本は寂しい国」

 

そうかもしれない。

豊かさって何だろう?

家族って何だろう?

 

今、映画『うまれる』『ずっと、いっしょ。』のW上映会を県内8会場で開催する映画上映ツアーを行なっている。

 

毎日のように、あの映画を見ている。

 

ホント、考えさせられるよ。

「家族」って何?ってね。

 

 

社会で取り組む問題

そんなわけで、問題の本質は似ている。

一番踏み込みにくい家庭の問題である。

 

 

「学校の先生」がその立場上、一番敏感に察知しやすく、また介入もしやすいポジションにある。

児童相談所の役割も大きい。

 

 

けどさ、いろいろ書いたんだけど、これは社会問題なわけだ。

そういう家庭を増やしている社会が抱える問題なわけ。

 

 

家庭を整える。

そんな企画を考えたいなぁと思う。

くればやし ひろあき

・株式会社ミナクル組織研究所 代表取締役

・フォロワー10万人の教育系TikTokクリエイター「くれちゃん先生」としても活躍中。人間関係や教育についての動画を配信

・1978年、愛知県生まれ。16年間公立中学校の教員として3,000人以上の子どもたちを指導。名古屋市内で最も荒れた中学校で生徒指導の責任者を務め、その後、文部科学省から上海に派遣され、当時世界最大の日本人学校であった上海日本人学校の生徒指導部長を務める。

・互いの「ものの見方や感じ方の違い」を理解し合うことで、他者に寛容な社会を実現したいと願うようになり、2017年独立。

・独立後は、教員時代の経験を活かし、全国の幼稚園や保育園、学校などで保護者向け講演や教職員研修を行う。2018年・2019年には、100人のボランティアスタッフを束ね『子育て万博』を主催。今年10月にパリコレクションのキッズ部門を日本に誘致して開催された『Japan Kids Fashion Week2021』において、全体計画及びキッズモデル・ボランティアスタッフ総勢150名のマネジメントを担当。

・2020年11月、「スタッフみんなが、明日も生き生きと来る!」を理念に、株式会社ミナクル組織研究所を設立。経営者、教職員、スポーツ指導者など、組織のトップや人を指導する立場の人たちから依頼を受け、人間関係づくりやチームづくりに関する講演や企業研修、教職員研修を行っている。経済産業省の事業再構築事業として人材分析システムを開発中。