出発点は私 ー 人間関係の悩みを解決するための糸口は何か ー
人の悩みの9割は人間関係に起因するものだと言われています。
誰かがあなたに何かをしてくる。
もしくは、あなたが何かをしても相手が変わらない。
結局のところ、あなたを困らせる誰かの存在が、あなたを悩ませます。
ですから、「その誰かを何とかしたい」と思うのが人の心というもの。
でも、出発点は私です。
私が見て、私が聞いて、私が声を発し、私が考えることで、私の世界は作られています。
この世界で「その誰か」に関わるすべての人間が、「その誰か」を変えたいと思っているわけではありません。
「その誰か」を苦手な人もいますが、好きな人も必ずいる。
あなたが「その誰か」に悩むのは、結局のところ「その誰か」の問題ではなく、「その誰か」のそばにいる「私」の側の問題だということです。
「問題」というのは、それを「問題だ」と考えている人の中で起こります。
極めて個人的なことといえます。
例えば児童が忘れ物をしてきたとします。
その子は注意されても何度も何度も忘れてきます。
それで先生は「何度言ったらわかるの!」と怒りました。
それでもその子は忘れてきました。
先生はイライラしてご家庭に電話をしました。
電話には父親が出ました。
事情を説明すると、「わかりました。一応、伝えておきます」と答えました。
それを聞いて先生はまたイライラしました。
(一応って何だよ。あんたの子どもだろ?)と思いました。
翌日、それでもその子は忘れてきました。
1日に1つ、何かを忘れてきます。
それで「お父さんに叱られなかった?」と尋ねたら、「人間だから忘れ物ぐらいするよなー」と言われたのだそうです。
それで、さらにさらに腹が立ちました。
忘れ物をしてくる児童も、それを指導しようとしない父親も、この先生から見れば「間違っている!」です。
怒りが沸いてきます。
そんな話を同僚としたら、「まー、困るのは本人だしねー」と言いました。
(そんな無責任なことでいいのか?)と、少しだけイライラしました。
これが「出発点は私」です。
忘れ物をしてくる児童。
それを指導しようとしない父親。
気に留めない同僚。
登場人物を増やせば、どんどん出てくるでしょう。
それらすべての人にとって、「私」が問題にしていることは「どうでもいいこと」だったりします。
「どうでもいいこと」というよりは「あまり重要ではないこと」「さして課題とは捉えていないこと」という感じでしょうか。
一つの事象を取り上げても、それを問題だと感じる人と、特に問題には感じない人がいる。
だから、「課題」とか「悩み」とか「イライラ」ってのは、いつも「出発点は私」なんですね。
ということは、その「私」をいかに理解するか、がすべてなのです。
自分はどんなことに悩みやすいのか、どんなことにイライラを募らせやすいのか。
その傾向を知り、対策を練っておくことが大切です。
自分を知ることが最も難しい。
そんな自分の傾向と対策。
ここを押さえておきたいわけでして。
なにせあなたは死ぬまであなた。
僕は死ぬまで僕なのでありまして、今世は「じぶん」をやり切るほかないわけです。
いつだって「出発点は私」だから、自分を整えておきたい。
人の悩みの9割は人間関係に起因するものだと言われています。
でも、その悩みを生み出しているのは「誰か」ではない。
自分自身なのだということを、頭の片隅に置いておきたいと思います。