この子の感じている生きづらさに寄り添う
「起立性調節障がい」の子をもつお母さん
今、こちらの大辞典型ブログ版『ハッピーな先生のハッピーな教室』と魔法の質問の『しつもんアラカルト』の両サイトに投稿をしております。
その中から、一つを選んでメルマガでは、お届けさせていただいております。
今回は、『しつもんアラカルト』の投稿のきっかけになったメッセージをお届けいたします。
お子さんが「起立性調節障がい」と診断されたお子さんがいらっしゃるお母さんからのメッセージです。
メルマガも朝の6時を楽しみに支度を進めています。
我が家も3人子供がいます。
いろいろと、親の基盤がしっかり出来なかった時期もあり
(結婚してから去年までそうでした。主人が会社で非常にストレスをかかえており、毎日が必死でした。)
そんなときに真ん中の娘が、学校に行けなくなりました。
色々な事情が重なって、感じやすい娘が受け止めた家族のSOSだったと思います。
精神的に一線を超えてしまったように情緒不安定になり、うなり声をあげることもありました。
色々、色々、主人の課題、家族の課題を見直し、前に進み、今、やっと家族で普通に団欒が出来ます。
しかし、真ん中の娘が、時々学校で倒れるのです。
校長先生の朝会の話中、、部活動中などなど。
1か月前に、母の勘で病院を受診しました。
「起立性調節障がい」でした。
40-80 という低血圧に色々と当てはまる事もあり、楽しく学校も行っていますが身体の不調もあったようです。
あの時、なんで学校に行かないの!
行かなきゃいけないよ。
話を聴いたり、叱咤激励したり、最初は、どうしようかと思いました。
学校の先生が家に迎えに来て下さり
『先生怒らないよ〜。学校においで〜』
と言われ、
「ですって」なんて、言いながら、、、
先生への対応も難しいなと思っていました。
あの時は、受け止めて習い事をすべて止め、学校も無理をさせませんでした。
冬休みが来たのも良かったです。
もし、体調面からのひどい不快感からだったら、追い込んだだけだったのかも。
なんて、今思います。
まだ、診断結果が出て一週間。
どう付き合っていくのか。
また、大変な時が来た時があるのかもしれない。
そんな事をふと考えながら、子どもたちを見つめています。
身体と心の健康一番です。
思わず文章にしましたのでまとまりませんが、いつもあたたかいメッセージから自分に問いかけています。
学ぶことがすべてなの
ありがとうございます。
読者の皆様からのメッセージは、いつも僕に新たな学び、新たな気づきをいただいております。
「なんとなく」としてしか理解していなかった「起立性調節障がい』について、勉強をする機会をいただけたのですね。
思えば、ADHDの診断を受けている子どもと接する中で感じた疑問を、自分で本を読んだり、特別支援学級の先生やスクールカウンセラーの先生に相談をして理解を深めてきました。
また、自閉症スペクトラムの診断を受けた子どもの担任をしたときにも、同じように学びを深めました。
ありがたいこといに、これまで発達障害をもったお子さん、外国籍のお子さん、肢体不自由のお子さん、その他ここで書くのは憚られるようないろんな境遇の子どもたちと出会い、そのたびに学んできました。
もちろん、研修なんかでは学ぶわけですが、やはりリアルな世界でそれぞれの課題を抱えた子どもたちと接するのはまったくの別物なんですね。
目の前に子どもがいるのです。
この子をハッピーにするために、僕らの志事はあるのです。
そのために学ぶのです。
この子を幸せにするために学ぶのです。
研修で「なんとなく」勉強するのとは、学びの質が違うのですね。
すべての出会いに感謝する
教室には、いろんな子どもたちがいます。
みんな違って、みんないい。
課題をもった子どもとの出会いは、本当に喜ぶべき出会いです。
なぜって、この子と出会ったからこそ、教育者として磨かれるのですから。
この子が生まれてきてくれたからこそ、親として磨かれるのですから。
もちろん、苦労する部分は多いです。
でもね、そういう苦労は、教育者にとっては苦労なんかじゃないの。
自分に都合のいい、手のかからない子どもばかりがいいと思うなら、この仕事を選ぶべきではないなってつくづく思う。
子どもを選ぶようなのは、教育者じゃないね。
以前ね、発達障害について助言をくれる専門家を招いたことがあるんです。
ある子がね、教室で苦しんでいたんです。
なんとか救ってあげたいけれど、僕らの力には限界があります。
で、彼らが言うわけです。
「確かに課題をもっているように見えますが、先生は困ってないんじゃないですか?」
「ええ、僕は困ってないですよ」
「じゃあ、なんで私たちを呼んだのですか?」
「いやいや、学校は困ってないですよ。あの子が困ってるんです」
「学校が困ってるから、我々は呼ばれるんですよ」
「はあ?目の前の子どもが困ってる。それで十分じゃないですか?」
どうも、魂レベルで違うから、話がかみ合わない。
けっこう最近、感じるんですよね。
ステージの違い。
魂レベルの違い。
正直言えばね、学校なんて困ればいいんだよ。
っていうか、困れよ!
で、悩めよ!
そうやって、目の前の子どもたちのためにできることを考えるのが志事なんです。
目の前の子どもが生きづらさを感じている。
だから、そこに寄り添って、できることを考える。
それが教育者としての在り方だと、僕は信じています。
そして、そういう魂レベルの高い先生、確実にいらっしゃるんです。
そのことだけはお伝えしたいなって思います。
ハッピーな子どもを育てる大人になるためのしつもん
この子が感じている生きづらさに、どんなアプローチをしますか?
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