「学校に行かない選択」を認める勇気
メルマガにいただいたメッセージ
私は現在の勤務校で今年度も、数年前も、
数年前、受け持った子とのエピソードは1冊の本になるぐらい、
結局、彼女と4年生で出会って、卒業まで3年間、過ごしました。
お互い、心をえぐりあいました。
闘いもしました。
4年生の時、別室登校をしていた彼女に、私は言いました。
「無理して学校に来なくてもいいんだよ。本当はどうしたいの?」
「学校やだ」
そう言って、放課後登校にシフトしていきました。
私が変わったのだと思います。
学校に来ることが全てじゃないと。
彼女の苦しみをキャッチしたのだと思います。
気付くと、私と思いを同じくする教員で自然とチームができて、彼女にとって最適な環境が整えられていきました。
彼女は、最後、卒業式の壇上に立ち、
彼女は中学校の入学式にも出て、今、
私の誕生日の日に、たくさんの友達と小学校に「おめでとう」
中学校が楽しくて仕方がないと、自慢しに来たと言いました。
私は笑いながら涙が出てしまいました。
今、受け持っている保健室登校の子には、私は、選択権、
彼女を受け入れるチーム体制も整いました。
自分がこんな風に子どもを見ていってあげたいと強く思っていると
職員数が少なく、みんないっぱいいっぱいなのに.
そういう子たちを受け入れる度量の広い学校だと思います。
自分の思いにブレがなく、それが本物ならば、
ちなみに、前回も今回も、自分の空き時間は全て、
その分、夜の仕事が増えたけど、自分にとっては、
自分がどんなスタンスでその子と向き合うか。
そして、今、登校してきてくれる彼女に、私は毎朝伝えます。
「今日もよく来てくれたね。先生嬉しい❗️」と。
別に無理して教室に入る必要なんてないし、
もうそれだけで十分。
大きくなれば笑い話です。
あんなことあったねって、
その子が、今、笑ってくれてること。
「志」を形にする「事」が「志事」です
目の前にいることをハッピーにすること。
ただそれだけを考えて、教室に立ちました。
どうしたら、笑顔でいてくれるかな?
どうしたら、この子らしさが輝くかな?
そんなことばかり考えてきました。
山ほど失敗をして、ときにはお叱りもいただき。
探求して、探求して、ここまで来ました。
うまくいかないことの連続でした。
悔しい想いも、悲しい想いも、たくさん積み重ねてきました。
いろんな子どもたちに出会い。
いろんなご家族に出会い。
ようやく今、「教育とは」「子育てとは」と僭越ながら書き綴っています。
今、この国はちょっとの失敗でも抹殺するかのような空気感があります。
徹底的に叩く空気感です。
失敗を許容しない空気感です。
だからでしょうか。
失敗しないように、叩かれないように、言動を選択する人が大人にも子どもにも増えているように感じます。
人は失敗から学びます。
失敗を許容しない社会とは、学びの少ない社会です。
「学校に行かない選択」を応援すること。
これは、この社会において、とても勇気のいる行動です。
「学校は行くものです」
「学校に来なさい」
まあ、そう言っておけば叩かれることはないのですから。
「無理して学校に来なくてもいいんだよ」
こう子どもに伝えられる勇気。
これこそ「志事」であると思いました。
ただ目の前の子どものことだけにフォーカスする。
教育者としての美しさを感じました。
いかなる批判も受け止める気概。
ハッピーな子どもを育てる大人になるためのしつもん
志を形にするために、できることは何ですか?
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