その常識、疑ってみようぜ♪
1パーセントの人になる最速の方法
常識的であることは素晴らしいことです。
いや、素晴らしいことでした…。
「これまでの時代」であれば、常識的であることはとても大切なことでした。
「ねばならない」
「こうあるべき」
それら常識に従っていれば、うまくいく時代だったわけです。
ところが、「これからの時代」は、その常識とやらが、どうやら邪魔な時代に突入したようなのです。
今ある常識は、過去の経験から作られたものです。
「これまでの時代」の常識が、「これからの時代」の常識と同じとは限らないわけです。
例えばの話ね。
成功者が全体の1%だと仮定するじゃない?
「これまでの時代」は、その中で1番のになることを目指していたわけです。
だって、いい高校に行って、いい大学に行って、いい会社に就職するのが成功モデルだったんだもん。
集団から抜け出すためには、1位を目指す必要があったの。
それを人は「競争社会」と呼んでいたのだけれど。
ところが、「これからの時代」はね。
1%になるためには、1位にならなくてもいいわけ。
ヨーイ!ドン!
…と言われたら、みんなが進む方向と別方向に進むわけさ。
集団と別方向に進むと1%になれる時代なんだよね。
自分がワクワクする方に進んでいいんだよ。
みんなと同じであるべき。
空気は読むべき。
長い物には巻かれておくべき。
そんな人はそれでいい。
たぶん、常識的な99%の人は、そちらに進むから。
でもね。
その常識に「本当に?」と、しつもんできる人だけが1%になれるのだ。
みんなと同じでなくたっていいんだよ。
これまで、たくさんの不登校の子どもたちと出会ってきた。
不登校の子どもに対して、どんなイメージを抱いていますか?
「学校に行きたくない」
そんな子は増えています。
本当に増えています。
ところが、おもしろいもので。
まあ、おもしろいなんて言っちゃダメだけどさ。
「明るい不登校」と「暗い不登校」ってのがあるのね。
お母さんは、毎朝「行きなさい、行きなさい」とやる。
子どもは、毎朝「行きたくない、行きたくない」とやる。
だんだん子どもとの関係が壊れていく。
ぶつかってぶつかって、互いに消耗していく。
そんな姿を何度も見てきました。
これはもう「暗い不登校」の典型。
「受け入れる」からスタートしないと難しい。
一方で、本人もお家の人も「学校に行かない選択」を認めて、フリースクールなどを選んでいる子もいました。
不思議だったのは、そういう子は明るい。
ちゃんとお話もできる。
大人と話している感覚というのでしょうか。
これが「明るい不登校」。
今ある現実を受け入れてるから、次への一歩が進めるわけ。
自分を生きてる子って、そんな感じなのね。
常識は疑え。
学校に行かないってのは、常識で考えれば、よくないのかもしれないね。
常識。
常識?
何なの、常識って。
その常識を「本当に?」と疑ってみる。
だって、その常識の中で生きていない子の方が生き生きとしてるんだもん。
それって、どういうことなの?って話なわけ。
常識的に考えてみてください。
だいたい思いつくことなんて、「こうあるべき」ということばかり。
でもね。
その常識とやらに、苦しんでいる人も多いと思うんだよね。
大人も子どもも。
もっとワクワクすることを選んでいいんだよ。
あなたの人生って、たった一度じゃない?
だれかが決めた常識の中で終わるのもいいけどさ。
自分のルールって、自分で決めていいんだよ。
創造的な人生を生きるためのしつもん
何を選んだらワクワクしそうですか?