なぜ育児書を読む人が増えてしまったのか?

子どもとどのように接していいかわからない。
そんなお父さんやお母さんが増えてるみたいなんです。
「最近の若い親はダメねぇ」だなんて思わないでください。
それ、仕方のないことなんです。
今日はそんなお話をしたいと思います。
僕ら人間は、子育てを本能でしているわけではありません。
学習によって子育てを学んでいるのだそうです。
人間と祖先を同じにするチンパンジー。
現在研究施設にいるチンパンジーの多くは、人工飼育のチンパンジーです。
人工飼育で育った彼女らは、自らが産み落とした赤ちゃんを見て、悲鳴をあげて赤ちゃんを威嚇したり、捕まえて投げつけたりする行動を見せるのだそう。
人工飼育されたチンパンジーは、群れの中で暮らすチンパンジーと違い、子育てを目にした経験がありません。
赤ちゃんという存在も知らなければ、子育てという経験もないわけです。
「赤ちゃん」という得体の知れないものに出会い、恐怖を感じてしまうわけです。
さて、人間は一人では子育てのできない生き物です。
共同養育という独特の子育てをしてきました。
立ち歩き、自分で食べ物を口に運べるようになるまでに成長するのに、数年かかる人間の赤ちゃん。
このように育児に数年もかかるのにも関わらず、毎年出産ができるようになっている母の身体。
他者に我が子を委ねることができる高度なコミニケーション能力。
これらは、人間のお母さんが、神様によって一人では子育てができないように生み出されていることを端的に示しています。
共同養育の社会においては、幼い者がさらに幼い者の面倒を見るのが当たり前でした。
ですから、幼い頃から他者と関わり合い、身近に「赤ちゃん」がいる暮らしが自然だったのです。
一方、現代社会は多くの家庭が核家族です。
大都市圏ともなれば、核家族の割合は9割にもなるとか。
私たちは「子育て」に携わる経験が少ないのです。
ここに一つの悲しい事実があります。
これまで、たくさんの児童虐待の事件と向き合ってきました。
虐待をしてしまうお母さんもまた、虐待をされて育ってきたという事実です。
私たちは経験から学びます。
プライバシーという壁で覆われた現代社会では他者の子育てを垣間見る機会は滅多にありません。
自分がされてきた子育てしか経験がないのです。
ですから、前述のように、子どもとどう接していいかわからないお父さんお母さんが増えているのも仕方がありません。
まず、幼いときから他者と関わる経験が乏しいのです。
同学年ごとにカテゴライズされ、異学年と交わる機会が極端に不足しています。
高度なコミュニケーション能力を有した人類だからこそ、もっと幼い頃からいろんな人と関わり合うことが大切なのだと思います。
我が家の次男坊は、愛知県岡崎市にある吉村医院という産婦人科で生まれました。
ここは少し、いえかなり変わった病院です。
息子は昔ながらの古民家の一室で、その産声をあげました。
薄辛い和室に布団を敷き、助産師が取り上げました。
長女は助産師さんの傍に腰を下ろし、妻の股の間から頭だけを出した次男坊をなで、「可愛い」と漏らしていました。
生まれたばかりの赤ん坊を愛おしく眺めておりました。
だからでしょうか。
我が家には、今もたくさんの赤ちゃんが来ます。
娘は優しく抱き上げ、あやすのですね。
それはもう、なれた手つきです。
あまりにもさっと抱き上げるものだから、こちらがヒヤヒヤするぐらいです。
本人は何も臆したところがありません。
人間は学習能力の高い生き物です。
大切なことは何を学び、何を経験するか。
本来の「生きる力」とは、机上では学べない力であるように思うのです。
子どもとつながる魔法の質問
子どもと触れ合った経験はありますか?
