お金がなくて、出産直後から働いて、赤ちゃんを死なせてしまったお母さんを責めるなよ
生まれて間もない娘を自宅に放置して死亡させたとして、31歳の女性が逮捕された。
「お金がなくて、病院に連れて行けなかった」
と話しているという。
1人暮らしだという彼女。
12月28日の朝に自宅の浴室で出産したのだそうだ。
翌日はパチンコ店とキャバクラのアルバイトを掛け持ちし、長時間自宅を空けていた。
そして、2020年1月1日、赤ちゃんは動かなくなった。
それでようやく119番通報したが、すでに赤ちゃんの心臓は止まっていた。
赤ちゃんの体重は1360gしかなかった。
妊婦健診も受けられず、それでも粉ミルクや哺乳瓶を購入し、ベビー服を着せていたという。
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出産直後から掛け持ちで働くって、どれほど大変なことなのだろう。
手を差し伸べる人はいなかったのだろうか。
このニュース、本当に悲しくなった。
このお母さんは育てる意思があったと思うんだ。
出産直後から働いて、ちゃんとベビー服着せて、粉ミルクも用意して。
でもさ、ニュースじゃ実名報道。
そんなふうに彼女を社会的に抹殺する必要があるのか?
何か事件が起こるたび、僕らは当事者を批判し、批難し、責める。
絶対的に安全な場所から一方的に攻撃をする。
誰もが「正義の味方」でいたいから、「悪」を作ることに大忙しだ。
「悪の秘密結社」が存在しなければ「正義の味方」にはなれないからね。
でも、待ってくれ。
彼女は本当に悪なのか?
救えたんじゃないのか?
手を差し伸べられたんじゃないのか?
悪にしちゃダメだ。
ここから何かを学ぶんだ。
俺たちはここから何かを学ぶチャンスなんだよ。
それが、この赤ちゃんの命の生まれた価値になると俺は思うんだ。
行政でもいい。
バイト仲間でもいい。
地域の人でもいい。
もちろん、親兄弟でもいい。
誰かが気づいてあげられたら、もしかしたら救えたんじゃないか?
救えなかったとしても、手を差し伸べることができたんじゃないか?
僕はそう思うんだ。
そして、何より悲しいのは、こういう事件が起こるたび、みんなは悲しみ怒り、「そんなのおかしい!」って叫ぶんだけど、やがて忘れるってことさ。
一通り怒ったら、また日常に帰っていく。
昨日と同じ今日を満喫する。
事件が起こるたびに怒り、そして忘れる。
だから、社会は何一つ変わらない。
何も行動しないんだから変わらない。
世の中ってそんなもん。
2016年8月、僕はクラウドファンディングをして資金を集め、県内8会場で映画上映ツアーを開催した。
9月1日は、子どもの自殺が最も多い日だという。
大人たちは憤った。
「子どもたち、命を絶つな!」と叫んだ。
「学校は何をしているんだ!」と叫んだ。
ただ、それだけ。
それだけで終わり。
僕は何かがしたかった。
たぶん、普通の大人たちと僕の違いはそこ。
たった一つ。
叫んで満足しないところ。
どうしても「んじゃ、どうする?」を考えてしまう。
行動しなきゃ気がすまない。
『子育て万博』も同じ。
児童虐待ののニュースを見て、僕だって憤りを感じた。
「どうなってんだ?」
「おかしいぜ!この社会!」
って思ったよ。
普通に思ったよ。
で、ほとんどの大人はここで終了。
次の新しいニュースに飛びついて、また怒る。
それだけ。
でもさ、そこで僕は思ったんだよね。
「んじゃ、どうする?」ってさ。
お母さんとお母さんをつなぐ。
それが必要なんじゃないかって思ったの。
じゃあ、政治家になれよ!って?
バカなこと言うなよ。
行政のことは行政でやってくれよ。
政治のことは政治でやってくれよ。
俺は俺ができることをするんだ。
この命と身体で精一杯できることをするんだ。
それが『子育て万博』ってイベントだよ。
そんなことじゃ社会は変わらない?
社会を変えようだなんて、大それたこと、考えちゃいないよ。
一人でいいんだ。
たった一人でいいんだよ。
子育てに悩んでて、孤独で、苦しんでるお母さんがフラーっと来てくれて、誰かとつながってくれたらそれでいいんだよ。
小さな一歩でいいんだ。
怒りをぶつける前に、行動してくれ。
小さくていいから行動してくれ。
そうやって、みんなが小さな一歩を踏み出したら、この社会は変わっていくからさ。
俺はそう思うんだよ。