毎日、児童虐待のニュースが流れるこの国を憂う。
児童虐待のニュースが後を絶たない。
毎日のように流れてくるニュース。
胸を痛めない日はない。
怒りと悲しみ。
きっと誰もが感じる痛みだ。
それでも僕は思う。
怒りでは何も解決しないと。
次の「この子」が現れないように、
僕らは僕らにできることを精一杯やるしかないと思うのだ。
ひどい親だ。
たしかにそう思う。
けれど、同時にこうも思うのだ。
このひどい親を生んだ「何か」に目を向けなければ、
次の「この子」がきっと現れる、と。
怒りに任せ、
上辺だけに目を向けていては、
何も解決しないのだ。
ひとつ、話をしよう。
ある子が虐待に苦しんでいた。
身体に傷をつくり、心にも深い傷を負っていた。
生育歴を見れば、とうの昔に児童相談所に駆け込んでいるような生活だった。
学校はその子とその親に懸命に寄り添い、なんとかスレスレで生きてきたことがわかった。
「学校の先生」など人情の塊である。
ロボットではない。
物理的に苦しい思いをしていても、母子の深いつながりがわかる。
母も子も離れて暮らしたいわけではない。
だから、懸命に寄り添ってきたのだ。
だが、母親には生活力がなかった。
だから、コロコロと男性を変えて生きてきた。
ある年のこと。
その子は母の「新しい男」の暴力に苦しんでいた。
その子が言うのだ。
「児童養護施設に入ろうかな」と。
それは、決してヘルプではなかった。
「たぶん、お母さんは今の彼氏といるのが幸せだと思う」
そんなことを言うのだ。
「あの人は男がいないと生きていけない。
今の彼氏はお金もあって一番幸せだと思う」
そして、こう続けたのだ。
「私がいない方が、お母さんは幸せに暮らせる」
もちろん、この子は理不尽な暴力に苦しんでいた。
でも、最後の決断は決して「暴力」から逃げるためではなかった。
母を思う子の心が、そう決断させたのだ。
「親思う心に勝る親心」などと言うけれど、
親を思う子の心に勝るものなどないと考えている。
東京都では、親の体罰を禁止する条例を作るそうだ。
先日は、親の暴力を発見した教師が即児童相談所に連絡をして、父親が逮捕され、賞賛を浴びていた。
僕はそのことにとても気持ち悪い感じがした。
そのぐらいの暴力では、しばらく拘留されたのち、すぐに戻ってくるものだ。
だが、忘れてはいけない。
子どもの暮らしは、事件後も続くのだ。
殴ったら即逮捕。
それが抑止力になるだろうか。
問題の本質はそんなに単純だろうか。
県をまたぐ引っ越しを続け、所在の把握しきれない子どももいた。
表に出ていたものが裏に隠れて見えなくなることの方が怖い。
「抑止力」だけで防ぐことができるほど、問題は簡単ではない。
ルールを作り罰則を強化することでは、問題が解決しないことを僕らはもう何度も何度も体験してきた。
飲酒運転はどれだけ厳罰化してもなくならない。
たぶん、ルールと罰則は、行政の「やってまっせ!」というアピールとしては効果的だけれど、本質的には何も解決していかないと思うのだ。
昨年に引き続き、『子育て万博2019』を開催する。
無料のチャリティーイベントとして行う。
テーマは「お母さんとお母さんをつなぐ」だ。
もちろん、このイベントで持ってして、「児童虐待」を防げるなどとは毛頭考えていない。
一つのアプローチとして、有効ではないかと考えている。
大切なことは、アクションを起こすことだと思う。
怒りをぶつけても、何も始まらない。
「じゃあ、君はどうする?」なのである。
東京の青山に児童相談所を作ろうとしたら、住民に反対された。
そんなニュースを見て、多くの人が憤りを感じた。
だが、大切なことは「じゃあ、君はどうする?」である。
基地問題で揺れる沖縄。
美しい海が埋め立てられている。
賛否、様々な意見が飛び交っている。
だけど、大切なことは、「じゃあ、君はどうする?」だと思う。
ラーメン店が芸能人のたむけんさんを誹謗中傷するツイートを流したところ、炎上したそうだ。
怒りに任せた人たちが、深夜までラーメン店に苦情の電話をかけているという。
アクションを起こすとは、そういうことではない。
僕らに必要なのは、怒りに任せて行動することではなく、よりよい未来のために「小さな一歩」を刻み続けることなのだ。
先日の愛知県知事選挙。
投票率35.51%だった。
「選挙に行かないなら政治に文句を言うな」という意見もある。
なるほどな、と思う。
でも、僕は思うのだ。
選挙に行ったことで、この国を動かしてる感を出すのも、なんだか違和感があるのだ。
どっちに投票したって、そんなに僕らを取り巻く世界は変わらないように思う。
ぶっちゃけ、国政だってそうだ。
多くの人が望むのは、税金を安くしてほしいし、できれば消費税は上げてもらいたくないし、年金はちゃんともらいたいし、戦争はしたくない。
そもそも、「この国の行く末」には興味がなく、「私の生活」にしか興味がない人がほとんどだろう。
「この国をどうしたいか」というヴィジョンより、「投票による対価」の方が気になって仕方がないのだ。
全体的に依存している。
誰かがなんとかしてくれると信じている。
でも、忘れてはいけない。
この世界を創造しているのは自分だ。
「じゃあ、君はどうする?」が大事なのだ。
アクションを起こすしか、この世界は変えられないのだ。
未来を創造するために、どんな小さな一歩を刻むか。
それが僕らに大人に求められているのだ。
親を責めたって。
児童相談所を責めたって。
学校を責めたって。
行政を責めたって。
何も変わりはしないよ。
僕らはできることをするのだ。
誰もなんとかしてくれない世の中に、自分からアクションを起こすのだ。