セーフティーネットとしての役割もあるんだよね♪
何かを肯定する文章よりも、何かを批判する文章の方が、書きやすい。
いいところにフォーカスよりも、欠点にフォーカスする方が簡単ですから。
人間って、ダメなところにフォーカスしやすいですから。
そんなわけで、公教育に対して否定的な意見をよくお見かけします。
まあ、たぶん学校の先生たちは、そういうのを苦虫を噛み潰したような顔で見てるんだと思うわけです。
そんなわけで、学校に超肯定的な意見を書いてみようと思います。
学校という組織が、何人もの子供たちを救っているんだぜ、というお話です。
事件は会議室で起きてるんじゃない!
ご存知のように、事件になれば警察は動いてくれますが、事件になるまでは警察は動いてくれません。
児童相談所だってそうなんだよね。
ある程度、事件になってから動く機関はいくらでもあるの。
でもね、事件になる前に子どものために動く。
そういう組織が学校なのです。
学校の先生たちは、事件になんてなってほしくないの。
だから、事件になる前に察知して解決に向けて動き出すのです。
ご飯を食べさせてもらえない子。
親に暴力を振るわれる子。
両親がどこかへ行ってしまった子。
万引きで飢えをしのぐ子。
薬物に手を出す子。
犯罪に手を染める子。
リアルな現場は、テレビドラマよりも刺激的だったりします。
「信じられない話」は、たくさんあるわけです。
「違和感」に気づく力で未然に防ぐ
わざわざ健康診断をする。
わざわざ家庭訪問をする。
それらを通して察知して、未然に防ぐ。
そんなことが山ほどあるのです。
プロの教師は、制服や体操服の汚れ、すれ違ったときの臭い、表情で事件を察知します。
ノートの書きぶり、振る舞い、挨拶の声の質。
あらゆるものから、その子の状態を察知します。
「違和感」に気づく能力。
「おやっ?」と感じる力とでも申しましょうか。
このアンテナが高い先生が校内には数名いて、そうい先生がフィルターとなって子どもの窮地を救っている。
これもまた、事実なわけです。
今、日本にはたくさんの児童虐待の事件があるでしょ。
それらが事件になる前に防いでいることも山ほどあるんですよ。
でも、そんなことは公にはならない。
先生たちは語らないからね。
批判からは何も生まれない
そういうことは知られぬままに、悪かった部分にだけフォーカスされていく。
そういうのって、教育者から意欲を削ぐのに十分なんだよなぁと思うの。
批判的な言葉を並べるのは簡単。
でもさ、大事なのは、「で、あんたに何ができるの?」だと思う。
今の学校が完璧だなんて思わないよ。
そんなことは先生たちだってわかってて必死になって学んでる。
変わろうとしてる。
そういう先生は山ほどいるんだ。
教育とか子育てって誰でも語れるでしょ?
学校は叩きやすいんだよね。
でもさ、そこからは何も生まれない。
批判は何も生み出さないんだ。
行動だよね。
学校がダメだと言うならさ、学校に変わる何かを作ればいい。
学校に変わる何かってのは、勉強だけでも居場所となるだけでもダメだぜって思うの。
トータルで子どもたちのハッピーをコミットできるかい?ってのがポイントだと思うのだ。
だって、そういうことができてるなら、もっと広がると思うもん。
ハッピーな先生になるためのステップ
子どもの命を守る。それが一番の使命だぜ。