「日本の教育はヤバい」って声がメンドクセー。
日本の教育はダメだ〜という声をよく耳にする。
今、世の中的には「学校批判」をしておいた方が正解。
「学校ってダメですよね〜」
「こんな先生いたんですよ〜」
と発信しておいた方が見栄えがよろしいですなぁ。
でもね、僕思うんですよ。
その、世間的に叩かれやすい公教育ですね、社会的に成功している人も出ているわけでしてね。
ホリエモンこと堀江貴文さんとかキングコングの西野亮廣さんとかもね。
「だから、公教育が優れている!」なんて言うつもりはありませんよ。
たぶん彼らは公教育だろうが、なんだろうが、教育の質に関係なく、異端な才能を発揮する人間になったと思うんですよね。
で、思うんですよ。
英語の早期教育も。
「英語教えなきゃ〜、教えなきゃ〜」っていうけど、今、英語を話せる大人は、別に早期教育をされてきたわけじゃないじゃん?
全員帰国子女なの?
んなわけないじゃん。
問題は教育にあるのかね?と僕は思うわけです。
子どもの才能や可能性を潰す大人がいます。
子どものやる気を削ぐ大人がいます。
教育の中身ではなく、子どもと関わる大人の在り方の方が大事なわけです。
教育の質よりも、先生の人間力だべ♬と思うわけさ。
考えてもみてください。
日本の公教育が全面的にダメダメだったらさ〜、異端の才能をもった堀江さんや西野さんは絶対誕生していないはずなのです。
学校が「工場ちっく」であることは否定しませんよ。
でも、その子が輝けるかどうかは、教育だけの問題ではないのです。
僕ね、いじめを苦に自殺をする子のニュースを見るたびに思うのです。
そんな辛い学校に通い続けなければならなかった背景はなんなのかって。
「先生、あなたの子がいじめられて学校に行かなくなったら、あなたならどうするんですか?」
昔、上海で詰め寄られたことがあったなぁ。
いや、俺なら日本に帰るよ。
当たり前じゃん。
なんで、そんなことされてまで、こんな学校にいなきゃいけないの?
僕はそう思いました。
そのとき、ウチの子たち、二人揃って1・2学期で30日の欠席。
日本ならちゃんと不登校にカウントされる日数をお休みしておりました。
学校に辛い思いをしてまで行く必要ね〜じゃん、ってのは僕の中にずっとある思いなんですね。
人生って選べるじゃん。
選べばいいんだよ。
だから、我が家は休んでもOK。
僕はそれ、我が子たちにずっと伝えているんです。
学校なんてその程度のものです。
学校に行こうが、行くまいが、この子はこの子です。
生きてるだけで百点満点です。
そこにいるだけでラブです。
「学校」を批判することは簡単です。
でも、僕、そこまで子どものことを学校に依存してないんですよね。
教育に依存していないというか、過度の期待はしてないというか。
どっかで、「そんなもんっすよ」みたいな「あきらめ」というか「受け入れちゃう」というか、「開き直り」みたいなのがあってね。
我が子たちが通う学校だってさ、そりゃ、「先生、そのやり方はどうなの?」みたいなこと、ありますよ。
でも、いちゃもんみたいな電話をかけようとも思いません。
先生たちだって一生懸命やっている。
ちょっとズレとるな〜と思うこともありますが、子どもが喜んで行ってるなら、親の出番なんてないですよ。
「行きたくない」って言ったら「行かなくていいんじゃね?」って言うだけです。
大丈夫。
この子はきっと大丈夫。
信じるだけでいいのです。
つまり何が言いたいかというと、「日本の教育はヤバい」と過度に騒ぎ立てるのがメンドクセーなってことなわけです。