なぜ、君は学校で学ぶのか。
正解を探す時代は終わった。
これからは「問い」を生み出し、
自分の内側からその「答え」を見つけていく。
そんな力が必要な時代なのだ。
学校で勉強するのは何のためだと思う?
ひと昔前はさ、いい学校に入るために勉強していた。
それで、よかった。
それが成功モデルだったんだもん。
でもね、今は違う。
これまでの成功法則は成り立たない時代なのだ。
勉強して、いい学校行って、いい会社入ったら、老後も安心!みたいな成功モデルは最早存在しない。
今、学校で学ぶのは、「学び方を学んでいる」と思った方がいい。
知識の蓄積はもう役には立たない。
知識なんて、ググればいくらでもたどり着ける。
知識の量じゃペッパーくんには敵わないのだ。
そうじゃない。
もう、テストでいい点を取るために勉強しても仕方がない。
これからの学びは「自ら課題を見つけること」。
そして、「それを解決すること」。
そんなの、実は大昔から教育現場で言われていること。
そもそも、教育現場の人間は、むちゃくちゃ頭を働かせている。
のんびり先生をやってるわけじゃない。
アクティブラーニングとなんて話題になる前から、先端行ってる教員は始めていた。
フィンランドメソッドとかも、OECDの学習到達度調査(PISA)でトップを取ったのが2004年。
そうそう、僕が教員になったばかりのころから取り入れているのだ。
先端行ってる教育者は、ずっと前から未来のことを考えて動いてるわけ。
やっと時代が追いついてきただけなのだ。
んでね、じゃあ、それらを何のためにやってるかって言ったらね。
これからの時代を生き抜くための「生きる力」を育むためにやってんのね。
変化の激しい時代じゃない?
未来を予測することは、もう不可能だと言っていいよね。
だからだ。
どんな時代にも対応できるように、
その時代その時代に合わせた「問い」を見つけること。
ここで言う「問い」ってのは「課題を見つける」ってことね。
そして、その課題をいかにして解決していくか。
その方法を、自分で発見していくこと。
自分で発見するってのはいろんな方法があるよ。
検索する。
知っている人を探す。
書物を読む。
課題に合わせて、
やり方も変わるだろう。
それが「学ぶ」ってことね。
そうやって、時代に合わせて自分をアップデートしていくことが大切。
それが「生きる力」なの。
時代に合わせて、自分をアップデートしていけるってことね。
ところがだよ。
不勉強な人たちは、そういうことは棚に上げて「学校は何やってんだ」「文部科学省は何をやってんだ」と言う。
まあ、そういうのって、先生の心を折るよね。
僕も現役時代、自分のことじゃないのに苦しかった。
学校批判の投稿を見るたび、悔しかった。
精一杯やってる先生がいるのに!って。
じゃあ、お前、マジでやってみろよ!って思った。
辞めた後だからハッキリ言ってやろう。
ホント、一度やってみろ!
批判する前にやってみろ!と。
見えてる部分なんて、ほんの一部。
で、それを難しくしているのが、受験制度だと思っている。
世の中の常識は、未だに「いい学校」に入ることは素晴らしい!ってのが一般的。
したがって、出題されることは高度になる。
保護者のニーズも「成績を上げること」に集中する。
「のびのびと学校に行ってくれていればいいです」とか言うわりには、むっちゃ成績とか気にする…。
そんなわけで「教えなければならないこと」が増えていく。
「そんなに話し合い活動ばかりしていないで、ちゃんと勉強をさせてください」
なんて苦情をいただくことになる。
「ちゃんと勉強させる」
この言葉をわかりやすく書くと、「ちゃんと点数が取れるようにしてください」となる。
間違えちゃいけないが、学校は「予備校」ではない。
必ずしも、全員が進学するわけではないんだよね。
義務教育は、日本国民として必要最低限度の知識と教養を与える場所だ。
…とキレイゴトを言っても仕方がないこと。
保護者のニーズがそうである以上、先生たちだって従わざるを得ない。
「アクティブラーニングばかりやってると、テスト範囲まで終わらなくて…」なんて声が聞こえてくるのは、仕方がないことだと思う。
そんなわけで、世間の声に耳を傾けて、ニーズを探ると本質を見失うわけだ。
「学校って何?」
「なんで学ぶの?」
そういうことに立ち戻る必要があるんじゃないかなって思う。
創造的な人生を生きるためのしつもん
どんな学びなら、人生に生かせそうですか?