みんなに必要とされない人になる方法 ー出版秘話ー
自分にしか書けないことは何だ?
「教育や子育ての話なんて誰だってできる。
自分にしか語れないことはなんだ?」
ある出版セミナーに参加したときのことだ。
講師は有名なベストセラー作家を何人も輩出した著名な方だった。
僕が作っていった出版企画書を見て、こう言い放った。
1ヶ月ほどかけて作った出版企画書は、30秒でボツ企画書に変わった。
たしか、そのときのタイトルは『子育てはがんばらない方がうまくいく』だった。
できるだけ大人が余分な手をかけない方がいいですよ、という本だ。
講師はこうも言った。
「だいたい子育てや教育の話ってね、誰だってそれなりの考えを持ってて、誰だって語れるんですよ」
「そうではなくて、あなたにしか語れないことじゃなきゃ、本を書く値打ちがないでしょ?」
3度東京へ通い、3度撃沈。
それで僕はすっかり自信をなくしてしまった。
自分にしか書けないことは何か。
模索する日々が始まった。
その後も企画書を作り続けては落選する日々。
気がつけば7年、「本を出したい」と思ってから、月日が流れてしまった。
TikTokのコメント欄から学んだこと
2年ほど続けてきたTokTokのコメント欄に「こんな先生だったらいいのにな」という言葉を見つけた。
学校で起きた出来事をエピソードトークとして話した動画には必ず「こんな先生だったらいいのにな」というコメントが並んだ。
僕にとってそれは不思議な言葉だったけれど、それならばと思い、「慕われるリーダーになるには」という本を書こうと思った。
ところが、書こうと思うとしっくり来ない。
それに自分で自分のことを「慕われている」だなんて、なんだか恥ずかしい。
それで、自分の学級経営を振り返ったとき、僕はふと、自分は何もしてこなかったな、と気づいた。
幸いにも、16年間で15の学級担任をしたけれど、どの学級も思い出深い1年だった。
多くの子どもたちに支えられて1年を過ごしてきた。
僕はもともと、自分の色を学級に残したくなかった。
先生が主役になっているような学級経営が嫌いで、できるだけ脇役でいられるように努めてきた。
子どもが主役、先生は脇役
合唱コンクールだとか、体育大会なんてのは顕著で、自分が主役になりたい先生たちは、陣頭指揮をとって子どもたちの中心で、「あーしろ、こーしろ」とやっている。
もちろん、優勝すれば子どもたちと一緒に喜び、集合写真は真ん中に写っている。
僕はそれが好きではなかった。
僕は集合写真の真ん中に写らない。
未だに自分のセミナーの集合写真ですら、フチの方に写る。
合唱練習なんかは参加したことがなかった。
指揮者や伴奏者、パートリーダーと会議をすることはあっても、練習の指導なんてしたことがない。
僕は子どもたちが歌っている間、せっせと教室の掃除をして、掃除の時間を練習時間に当てさせてあげたぐらいだ。
できるだけ、子どもたちの印象に残りたくなかった。
「先生のおかげで」みたいに言われたくなかった。
子どもたちには子どもたちだけで成長できる力があって、大人はそのサポート役でしかない。
そんなスタンスだった。
だから、1年の終わり、学級を閉じるとき、子どもたちにこんな話をした。
「来年、新しいクラスになったとき、絶対に口にしてはいけない言葉がある。
それは『去年のクラスの方が良かった』という言葉だ。
新しいクラスが面白くないなら、自分で面白いクラスを作ればいい。
君たちはこの1年で、そういう力を身につけたはずだ。
先生がいなくたって、自分たちで素晴らしいクラスを作る方法を学んだはずなんだ」
そんなわけで、僕のクラスはいつも自走していた。
僕はあまりやることがなかった。
書きたかった子育て本と同様、大人ががんばらない方がうまくいくのだよ。
この気づきによって、僕は「組織が自走するには?」というテーマに出会った。
こんな本、読みたい人、いるのか?
それで『自走する組織の作り方』という本を書こうと思ったのだけど、こんなのニーズがあるのかな?と思った。
なにせ、僕はリーダーらしいことは何もしていない。
指示したり、叱ったり、命令したり、することがない。
最後の2年間なんて、本当に一度も叱ることなく卒業の日を迎えてしまった。
これは本の冒頭に書いたことなのだけど、僕は「自分が必要とされないこと」を組織運営で一番大切にしてきた。
必要とされなくなるのが理想だ。
だから、この本を読んだら「あなたはみんなから必要とされなくなりますよ」を書くわけだ。
そんなもの、読みたいだろうか?
自分がやってきたことをそのままTikTokに出したら、多くの人が「こんな先生がいい」と言う。
じゃあ、慕われるリーダーになるには、というテーマで出版企画書を書いてみることにした。
本当に書きたいことは何だ?
その出版企画書が今回出版させていただく出版社の社長さんの目に止まったのは幸いだった。
今回はNPO法人企画のたまご屋さんのお力もお借りしたので、出版プロデューサーさんと3人でZOOMミーティングをした。
社長さんは冒頭で「そもそもリーダーって慕われたいのかな?」とおっしゃった。
言われてみればそうだ。
ビジネス書を読むような層のリーダーが
「俺、みんなに慕われたいよう!」
と思っているだろうか。
なんか違う気がした。
それで社長さんが
「本当は何が書きたいの?」
と言われた。
「本当は何が書きたいの?」
どうやら社長さんは、この企画書が、僕が本当に書きたいものではないと見抜いていたようなのだ。
それで僕は『自走する組織の作り方』の話をした。
自走する組織の作り方
自分は学校の先生時代、子どもたちが自分で考えて、自分で行動できるように、組織運営をしてきた。
僕が教室でノート点検をしたり、生活日記に朱書きを入れていると、勝手に子どもたちが進めていった。
先生たちは「忙しい、忙しい」と口にするけれど、僕は教室でほとんどのことを終えてしまった。
だから、学年主任で学級担任で進路指導主事で研究部長で国語主任の図書主任で学年会計しながら修学旅行旅行の企画もし総合学習の準備もした。
それでいて、「定時で帰る」が目標だった。
まー、遅くとも18時前には職員室を後にしていた。
校外の仕事が多くて出張続きの年なんかは大変で、部活もやって夜間中学校の講師もして、他校の先生の論文指導もして、みたいなときもあったのだけど、十分に仕事が回っていった。
「先生、あれ、やっといたよ」と言うので、「ああ、ありがとう」と返す。
みんながやってくれるので、そんなにやることがないのだ。
それは独立して自分で仕事をするようになってからも同じだった。
いろんなイベントを運営してきたけれど、みんなが動いてくれた。
別にお給料を払っているわけではない。
でも、みんなが自発的に動いてくれた。
みんなに必要とされなくなる本
なぜ、みんなは自発的に動いてくれるのだろうか。
僕がしてきたことに、そのヒントがあるはずだ。
これこそが、僕の経験をもとにして書く、僕にしか書けないテーマではないだろうか。
そんな本を書きたいと思った。
でも、僕は指示したり命令したりするリーダーらしいことは何もしていない。
できるだけ必要とされないことを考えてきた。
だから、出版社の社長さんに、
「リーダーなのに、みんなが必要としてくれなくなる本なんて、読みたいですかね?」
と話した。
ところが、社長さんの答えは僕にとって意外なものだった。
「それ、いいじゃん。自分ががんばらなくても、みんなががんばってくれるんでしょ?そんな方法があるなら知りたくない?」
そうなのか…と思った。
僕はこれまで、いつもいつもみんなが勝手に動いてくれるので、それはわりと当たり前のことのように思っていた。
だから、それがそんなに価値のあることのように感じていなかったのだ。
「リーダーが欲しいのは、成果であり、結果でしょ?それを手に入れるために孤軍奮闘しているリーダーは多い。でも、みんなが動いてくれて、それで成果につながるなら、そんなに素晴らしいことはないよね」
そんな話をしてくださった。
自分がこれまでしてきたことが、急に輝くような、そんな一瞬だった。
それで僕は『自走する組織の作り方』という本を書くことになった。
自走する組織を作ると、なぜかみんなに慕われる
もともとの副題は教育者らしく「自分で考え、自分で行動できる人をいかにして育てるか」だったのだけど、出版社の意向で「統率力不要のリーダー論」に変わった。
たしか、「統率しないリーダー論」で、それから「統率力不要のリーダー論」に変わったんだっけ。
「作り方」と「育て方」が被るのはなんだかクドイし、統率力がいらないってのは、言いたいことの核心を突いていると思った。
で、実は「慕われるリーダーになるには」の企画書と、それほど「目次」は変わっていない。
少しだけ変更した。
「慕われる方法」も「組織を自走させる方法」も、何なら「子育てがうまくいく方法」も、言っていることはそれほど変わらないのだ。
そう、僕は7年前から言っていることは変わらないけれど、切り口がガラリと変わっただけなのだ。
自走する組織になると、リーダーは慕われてしまう。
「先生、すごい」と言われるけれど、「ん?俺、何もしてないし…」となるのはそのためだ。
というわけで、『自走する組織の作り方 統率力不要のリーダー論』がまもなく書店に並びます。
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