いろんな制約の中で、もしも諦めていることがあるとしたら、人生は味気ないものになると僕は思うんだ
10年先、20年先、どうなっていたら最高だろう?
僕はいつもそんなことを考えている夢想家だ。
上海で日本人学校の先生をしているとき、ミヒロさんを始め、いろんな起業家さんに出会った。
野澤卓央さんや岸本亜泉ちゃんもその1人だ。
上海はエネルギッシュな街で、その他いろんな野心をもった方と出会う場所でもあった。
それは「人生、このままでいいの?」という問いをもつきっかけにもなったように思う。
人生にはいろんな制約が付き物だ。
すべてが自由で、やりたい放題できる人間はわずかだと思う。
結婚すれば制約が増える。
子どもが生まれれば制約が増える。
そういういろんな縛りの中で、僕らは自分の人生をクリエイトしていく必要がある。
先日もある講座について、「行きたいけど子どもがいるから参加できません」というお話をいただいた。
別の講座では「行きたいけどお金がないから参加できません」とも言われた。
また、「行きたいけど時間がありません」とも。
もちろん「行きたいけど」が社交辞令なら構わない。
そんな社交辞令はいらないのだけど、本当は。
それよりも、もしも「行きたいけど」が本音なら、それはすごく寂しいことだな、と思う。
「できない理由」を見つける癖がつくと、人生は途端に味気ないものに変わる。
「どうしたらできるだろう?」と考えてみるとワクワクしてくるから不思議だ。
実際できるかどうかは別にして、まずは「どうしたらできるか」を考えてみよう。
「そんなの無理」と思えば思考が停止してしまう。
それが人生をつまらなくするのだ。
僕は上海でミヒロさんに出会った。
「時間と場所に縛られない生き方」という新しい生き方を提案していた。
まだ、ZOOMも TikTokもない時代。
かろうじて、Youtubeが生まれたような頃だ。
ガッツリ公務員だった僕にとって、それは夢物語のような話だった。
「できっこない」と思った。
それでも僕はイメージしたんだ。
10年先、20年先、どうなっていたら最高だろう?ってね。
校長先生になって、職員室で先生方の愚痴を聞いている僕に、僕はワクワクするだろうか?
教育委員会の意向に沿って、先生方に話をしている僕に、僕はワクワクするだろうか?
そんなことを考えていたら、僕は人生がわからなくなった。
10年先、20年先、どうなっていたら最高だろう?
何度も何度も問いかけた。
そして、あるとき、僕もミヒロさんみたいな生き方がしてみたいと思うようになった。
「どうしたらできるだろう?」と考えたとき、最初にやったのは山形県の名月荘に行って、ミヒロさんから直接学んでみることだった。
まだ、先生だった頃、僕は「起業したい」と思って、学びに行った。
それがそのまま起業につながったわけではないけれど、少なくともその小さな一歩が今の「未来」につながったのは間違いない。
子どもが3人もいて、教員を16年も続けてきて、そこで辞める。
よくよく考えれば、なかなかできる選択ではないかもしれない。
でも、人生はたった一度きりだから。
やりたいことをやってみたい。
いろんな制約の中で、できることをやってみよう。
いや、できることを考えてみるだけでもいい。
「そんなの無理」と諦める前に、ワクワクする時間を作ってみるといいのだ。