感じた怒りを何とかしたければ、怒りの原因を取り除いてはいけません
人間関係を整えるには、究極のところ「相手を理解すること」しかないな、と思っています。
人は一人では生きていけないから、他者と関わり合って生きているわけですが、人と関わると「怒り」を感じる場面がどうしてもあります。
最近、誰に「怒り」を感じましたか?
僕は正直、妻によく「怒り」を感じますww
そのことを子どもたちも敏感に感じ取っており、(これは良くないな…)と思っているわけですが。
「怒り」で人間関係を見てみると、
怒る人ー怒りー怒らせる人
という構図になりますよね。
怒る人は「怒らせる人」に対して、「怒らせるなよ」と思います。
「怒りの原因」を取り除こうとします。
「叱る」とか、「怒鳴る」とか、「罰を与える」とか、全部そうです。
「怒りの原因」を除去すれば怒らないで済む、と考えます。
先日、サッカーを観に行ったら、応援しているチームが負けちゃったんですね。
それで選手に怒鳴っているサポーターがいました。
それはそれはひどい言葉で罵っていました。
怒りの原因は「チームが負けたこと」だから、選手が悪い、監督が悪い。
負けなければ僕は怒りを感じずに済むんだ!という発想です。
発想が幼いです。
思考が幼いです。
でも、怒りってそういうものだと思うんです。
一方で、怒られる側は、相手の「怒り」が理解できるけれど、どうしようもない。
そんな感じだと思うんですね。
怒られて何とかできるなら、今頃世の中から「怒り」は消滅しております。
僕は妻の料理の仕方が好きではありません。
キッチンに洗うスペースがまったくないぐらい鍋で埋めます。
夕飯を食べると、僕は率先して皿洗いをします。
わりとそういうことをやる男ですww
ちなみに、自分で料理をするときは、食べるときにはキッチンが片付いています。
で、料理をしてもらったときは、皿ぐらい洗おうと思うわけですが、キッチンに行くといつもため息が出ます。
(さあ、どこから手をつけようか…)となるんです。
調理するスペースを片付けて、そこに流し台いっぱいになったフライパンや鍋を上げ、流し台が空いたら洗い物をします。
その間、ずっと「怒り」が沸いてきます。
なんで?なんで?なんで?の波が心に押し寄せます。
僕の「怒り」の原因が「妻にある」と思っているうちは、まったく解決しないんですね。
たとえばあなたが部下に怒りを感じたとします。
部下を何とかしたいと思います。
そう思っているうちは、その怒りは解消しないよ、ということなんです。
怒りってアレルギーみたいなものだな、と思っていて。
僕はひどい花粉症なのですが、花粉の時期はマスクをつけて目薬さして、薬を飲みます。
「いや、原因はスギ花粉なんだから、日本中の杉を伐採してやるぜ」とやっていたら、一生苦しむんです。
花粉症の原因を杉にしたらずっと花粉症なんです。
で、やっぱり生活習慣とか食べる物とか見直すと、アレルギーって軽減するんですよね。
これと一緒。
アレルギーの原因である「スギ花粉」は「妻」と同じです。
それを何とかしようと思うと、苦しみます。
自分の気分のいいときは、映画をタブレットで見ながら洗い物をします。
映画を楽しむついでに片付けています。
楽しいこととセットにすると、いくらか楽しめます。
気分が乗らないときはやりません。
一食であそこまでグチャグチャにする必要ないじゃないか。
それをしたのは奥さんなので、彼女が片付ければいいじゃないか、と思うことにしています。
冷たいですか?
冷たいですよね?
最初は僕もそう思っていました。
怒りを押し殺して片付けていました。
でも、それって精神衛生上良くない。
自分の心を痛めてまで、誰かのためにがんばるのは良くないです。
それをやると「こんなに私がやってあげてるのに」という気持ちになります。
だから、やりたくないときはやらない方がいいです。
「僕がやらなければならない」
そんな呪縛を解いて、やりたくないときはやらない。
妙な責任感を持たないようにしています。
つまりね、変えられるのは自分だけなんです。
「怒らせる人」を変えようとしているうちは「怒り」はおさまりません。
「怒る人」が変わることです。
怒る人ー怒りー怒らせる人
と人間関係を見ていましたが、実はそうではありませんでした。
怒る人ポツン
これです。
怒る人がポツンとただいるだけなんです。
怒りは自分で処理するしかないんですね。
うんちみたいなものだと思います。
誰かに拭いてもらおうなんて、大人じゃありません。
自分で処理するしかないのです。
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