「やり方より在り方」って言われるけど「在り方」ってなんですか?

最近よく「やり方よりも在り方が大事」という言葉を目にする。
「在り方が大事」と言われても、その肝心の「在り方」というのがよくわからない。
「やり方」というのは明白で、「どうすればいいか」というのが「やり方」。
わかりやすく言えば「How to」である。
「やり方を教えてください」と問われれば、これは簡単に答えられる。
じゃあ、「在り方」とは何か?
「在り方を教えてください」と問われても簡単に答えられるものではない。
これを今日は論じたい。
実は先日、「これが在り方かな」と気付かされた出来事があったのでシェアしたいと思う。
僕には今、500人ぐらいの組織があって、そのリーダーたちから「報告や相談がないんです」という悩みをよく耳にした。
それで「榑林さん、ちゃんと報告や相談するように言ってください」と懇願されるのだ。
僕はみんなに、「ちゃんと報告しなよ」「ちゃんと相談するんだよ」と言って回るのだけど、あまり色よい返事が返ってこない。
「面倒臭い」とか「報告したくない」とか、「なんで相談しなきゃいけないんですか?」とか。
まー、一筋縄で行かないのであります。
どうしたら、みんながちゃんと報告や相談するようになるか。
僕は一生懸命「やり方」を考えていた。
たとえば報告会を開くとか、「報告しましたか?」とリマインダーが届くとか。
何かシステマチックに、報連相(ホウレンソウ)が行われる仕組みはないものかと、ずっと「やり方」ばかりに目を向けていた。
それでふと、我が身を振り返ったときに、「そういえば僕のところには報告が来るし、相談も来るんだよな」と思い返した。
ただ、僕は報告されたとて、「すごいね!がんばってるねー!ありがとねー!」とお決まりの文句で返信しているだけだし、相談されてもよくわからないので「うん!いいと思う!がんばれ!」という、あまり意味のない返信をしているだけだった。
僕のところには報告や相談が集まってくるのだけど、僕に報告や相談しても意味のないのになーと思っていたわけだ。
リーダーたちは「報告や相談がない」と言うのだけど、僕は「報告や相談が答えられないんだよなー…」と別の悩みを抱えていた。
そしたら、チームの仲間がこう言うのだ。
「そういう榑林さんだから、みんなが報告したり相談したりしたくなるんです」と。
僕はそれってよくわからないな、と思ったのだ。
だって、報告しても相談しても大したことを言わないのだから、「意味ないじゃん」と考えていた。
リーダーたちの方が賢いし、良いアドバイスができるはず。
だから、僕になんて相談しないで、リーダーたちにしておくれよ、というのが僕の本音だった。
ところが、彼は続けてこう言った。
「みんな、助言が欲しくて報告や相談しているわけじゃないです。背中を押してほしいだけです」と。
なるほどなーと思った。
相談するたびに厳しいことを言われる。
報告するたびにダメ出しされる。
それでは次第に報告や相談することが億劫になる。
その気持ち、なんとなく理解できる。
一方で、相談や報告をすると背中を押してくれる人がいる。
だから、相談や報告が集まってくる。
じゃあ、そういう「やり方」をすれば、相談や報告が集まってくるのか。
彼はさらに続けた。
「違うと思います。
普段の立ち振る舞いとか、表情とか、言葉のチョイスとか、そういう榑林さんの在り方を私たちは見ています。
その上で、この人になら相談したい、報告したいと思うのです」
そのとき初めて「在り方」というものの輪郭がハッキリしたような気がした。
「在り方」というのは自分では見えないのだ。
それは自分の容姿が鏡なくしては見えないように、自分では見えないのである。
そこで僕は、いつもお世話になっている女性リーダーから言われた言葉を思い出した。
「榑林さん、メンバーさんは鏡ですよ」と。
そうか、僕を取り巻く仲間の姿は、僕の在り方を映し出す鏡なのだ。
人が集まる人もいれば、人が離れていく人もいる。
それはまるで「今の自分の在り方」を写し出す鏡のようなものなのだ。
在り方は見えない。
けれど、自らを取り巻く人の姿にはそれは現れてくる。
今の私の立ち振る舞いが、私の周りの人の姿を作っている。
だとしたら、私たちが立ち返るべきは、「今の私がみんなの瞳にはどう映っているか」なのだ。
すべての源泉は自分であり、矢印を向けるべき相手は自分なのだと、改めて気づかされた次第だ。




