生き地獄のような教室から

志望理由 先生の暴力

途切れたご縁がつながる喜び

榑林先生、初めてメールします。

先生のメルマガを読みはじめて4ヶ月ほどになると思います。

 

私は先生と小学校4~6年生で同じクラスでしたが、覚えてていただけたら嬉しいです。

 

高校の講師を経験後、中学校の保健体育の教員として採用されました。

2人の子どもの出産、育児でお休みを頂き、小学校教員として復帰。

現在は3人目の子の育児のため休暇中です。

 

 

いつかの先生の「僕が先生を志した理由」を読み、鳥肌がたちました。

私自身も「学校の先生」を志した理由が同じで驚きました。

 

 

▽▽その記事はコチラ▽▽
http://shitsumon-alacarte.com/education/4591/

 

本当に毎日のように 誰かが殴られてましたね、理不尽な理由で。

4年生の学級崩壊に始まり、5年6年はある意味地獄みたいなものでした。

 

 

5年生になった初日に、担任が発した言葉は 今でもはっきり覚えています。

授業の内容は覚えていませんが、自分や友達が殴られたこととかは覚えています。

 

 

言い返せばただではすまないだろうし、言い返す勇気もなく、「バカだ、たわけだ」と言われ続けた日々。

当時、心の中で言い返すのが精一杯でした。

でも、今はその経験がなければ、今の自分はいないと感謝できるまでになりました。

 

 

榑林先生は、私の事を覚えていないかもしれません。中学は一度もクラスは同じではないし…。

でも、あの教室から巣立った仲間が 今こうして それぞれの場所ではありますが、志を持って子どもたちと関わりあっていることが嬉しくて勇気を出してメールしました。

 

いつもメルマガを見て勉強になること、共感することばかりです。

教育現場が辛く苦しい場所ではなく、すべての人にとって学校や教室、家庭が明るくハッピーな居場所になるよう願ってやみません。

いつも榑林先生のメルマガを見てパワーをもらってます。

 

もし、私にも何かできることがあれば いつでもお手伝いさせてください。

今後の榑林先生のご活躍を、心より応援しております。

 

 

すべての出会いには意味がある

うれしいメッセージをいただきました。

同じ時間、同じ季節を過ごした仲間からのメッセージ。

いや、同志からのメッセージ。

正直、ちょっとだけ泣けました。

 

ちょっとだけですよ!

 

 

本当に辛い小学校時代でした。

 

 

そこで学ぶ子どもたちはみんな感じてたんじゃないかな。

身の危険を。

教室に行って身の危険を感じるって、どんな学校ですか?って感じですけど。

 

人権とかなかったもんなぁ…。

簡単に言えば、注意する代わりに殴るって感じです。

 

 

でもね、今になって思う。

 

あんなに殴ってくれたおかげで、あんなに罵声を浴びせてくれたおかげで、志しをもった教育者が二人も生まれたわけです。

一つの教室から。

 

それって、見方を変えたら素晴らしい先生と言えるのかもしれません…。

 

中学校での出来事

それにしても、僕はたくさん殴られました。

いろんな先生から殴られました。

今にして思えば、「見せしめ」だったんだろうなって思います。

 

 

 

僕の住んでいた市では、泊まりで野外学習に出かけます

僕は学級委員。

そうです、優等生です♡

 

で、その日は居残りでクラスのみんなはキャンプファイヤーのスタンツの練習をしていました。

僕はと言うと、学級リーダー会なる組織で、野外学習の全体進行の準備をしていました。

さすが優等生です♡

 

それで、リーダー会が終わり教室に戻ると、クラスのみんなが怒鳴られています。

どうやら、教室でお菓子を食べていたそうなのです。

 

恐る恐る扉を開けた僕に、先生は尋ねました。

 

「お前はどこへ行っていた」

「はい、リーダー会です」

「じゃあ、お菓子を食べるために戻ってきたんだな?」

 

(はあ?コイツ何言ってんだ?)と思いました。

 

「いや、だから、今リーダー会から戻ってきたところですけど」

「知っていただろ?知っていたから戻ってきたんだろ?」

 

(どういう思考したら、そうなる?)と思いました。

 

「いや、知るわけないじゃないですか。ずっとリーダー会ですよ」

 

その瞬間、殴られました。

 

「嘘つくな!」

 

(まてまて、どの部分が嘘なんだ?)

 

「お菓子を食べるために戻ってきたんだろ?」

 

そう言うと、また殴られました。

 

結局、相談室に連行され、並べられ、何発もビンタをされました。

僕は嘘をつけない性格のため、「食べてません」「知りません」と言うたびに「嘘をつくな」と言われて殴られました。

 

もう少し素直な人間ならよかったんでしょうね。

「はい、私はお菓子を食べるためにもどってきたゲス野郎でございます」

とか言っておけば、半分ぐらいのビンタで済んだのかもしれません。

 

いや〜、まいった、まいった。

 

で、部活動に行くと、サッカー部の顧問の先生に呼ばれました。

「サッカーをする資格がない」と言われ、友だちが練習している前で、また何発も殴られました。

 

そして、一週間の間、朝と夕方の練習中ずっと校舎外を走り続けさせられました。

 

もう訳がわかりません。

冤罪です。

 

お礼参りもできぬまま

 それでね、僕は学校の先生になりました。

自分が子どものころ暮らした市の先生です。

だから、(いろんな意味で)お世話になった先生方とお会いする機会があるわけですね。

 

若いころ、ある研究発表会に行ったんです。

そしたらね、会場でばったり、殴った先生のうちの一人に会ったんです。

 

今じゃ節度ある立派な社会人となった僕は、ご挨拶に伺いました。

 

「その節はどうも…」

 

僕の眼はまったく笑っていなかったと思います。

凄みのある声で言いました。

今とは比べものにならないぐらい尖っていた時期でしたのでお許しください。

 

すると、どうでしょう。

その先生ね、ひきつった顔して部屋から出ていってしまったんです。

逃げるように。

 

「挨拶ぐらいしなさいよ」と思いました。

「なんだ、やっぱり愛のムチではなく、ただの暴力だったのね」とも思いました。

大丈夫。

やり返したりしないから。

だって、大人だもん。

 

 

いろんな先生に出会ってきました。

その出会いがあったから今があるわけで。

すべての出会いに感謝です。

 

いつかお会いできたら、ちゃんとお礼を伝えたい。

眼は笑ってないかもしれないけどね♡

 

ハッピーな先生になるためのしつもん

この仕事を志した理由を覚えていますか?

 

くればやし ひろあき

・株式会社ミナクル組織研究所 代表取締役

・フォロワー10万人の教育系TikTokクリエイター「くれちゃん先生」として人間関係や教育についての動画を配信

・1978年、愛知県生まれ。16年間公立中学校の教員として3,000人以上の子どもたちを指導。名古屋市内で最も荒れた中学校で生徒指導の責任者を務め、その後、文部科学省から上海に派遣され、当時世界最大の日本人学校であった上海日本人学校の生徒指導部長を務める。

・2018年~2019年 100人のボランティアスタッフをマネジメントして『子育て万博』を主催。

・2021年~2024年 パリコレクションのキッズ部門を日本に誘致して開催された『Japan Kids Fashion Week』において、全体計画及びキッズモデル・ボランティアスタッフのマネジメントを担当。

・経済産業省の事業再構築事業として人材分析システムCrewDocks®︎を開発。企業研修など精力的に活動中。