いじめが起きない空気を育てる

いじめ 学級担任

いただいたメッセージについて、一緒に考えてみませんか?

初めまして。

いつもメルマガを楽しみに読んでいます。

今日は、最近考えてることについてお話させてください。

 

いじめがあったとき、どう対応すればいいのか。 

加害者の気持ちをしっかり聞き、共感する。

でも、「それはやってはいけないことだよね」と、伝える。

被害者の気持ちをしっかり聞き、共感する。

被害者に対しては、共感することしかできない。

今の私だったら、いじめがあった時はこういう対応になります。

何度も繰り返されたら、この対応の繰り返し。

 

でも、いじめはなくならない。

目の届かないところで起こる。

加害者の子の気持ちが満たされていないから。

でも、どうやったら心が満たされるのか、分からない。

 

母親の愛情不足??

家庭の問題??

周りの環境??

 

その加害者の子は、どうしたらいじめるのをやめるのだろうか。

いじめは犯罪だ!!絶対やってはいけないことだ!と、強く叫ぶか。

 

でも、叫べばよりその子は見えないところでイジメを繰り返す。

母親に伝えるべきか。

伝えてみても母自身も、やめて欲しいけど止め方が分からない。

 

被害者の子を守る方に全力を注ぐべきか。

24時間見守ることは不可能。

 

対応にとても悩みます。

そう、手探りです。

先生なら、どんな対応をされますか?

 

ちなみに、これは主人のクラスでいじめがあったと聞いたとき、2歳の長女が生まれたての弟を、私の見えないところで叩いたり殴ったりするのと似ているな、と感じて思ったことです。

なるべく長女との時間を作っているけれど、やっぱり心が満たされてなくてダークな部分が出てくるのかな...と。

私の時間も無限にあるわけではないので、長女の気持ちを全て満たすことはできません。

 

長女を強く叱れば心がより離れていく。

けれど、今のように共感しつつダメだよ、と繰り返し伝えていくだけでは改善されていかない(ように感じてしまう)。

でも、弟をずーっと視野の中に入れておくことは不可能。

 

私自身、教師ですが、自分の子供ですらこんな感じなのに、いじめがあったときに教師として何ができるのか…と、もんもんと考えてしまいました。

 

先生なら、いじめがあったときどうされますか?

もし、家庭に伝えて、ご両親から強く加害者の子供が叱られれば改善されるのでしょうか。 

私は、自分の子がいじめをしたとき、どう対応すれば良いのか迷います。

お忙しいとは思いますが、教師としての立場で、親としての立場でぜひお話を聞いてみたいです。

 

僕は「いじめ」について、こう考えます。

メッセージありがとうございます。

 

いじめについて、僕も常々考えています。

たとえばもし、僕の学級で「いじめ」が起こったら。

僕は3つのことを考えます。

 

まず、1つ目。

学級にいじめの起こらない空気をつくります。

これは、僕が日ごろから心がけていることです。

 

でも、もしも「いじめ」が起こったとしたら、やはりそこからやり直すと思います。

空気をつくることに学級経営のエネルギーのすべて注ぎます。

 

「いじめの起きない」空気はね、「違いを受け止める土壌」と言ってもいい。

 

「いじめ」が起きたとき、子どもたちの心に訴える指導、たとえば道徳や学級活動の時間に行いますよね。

けれど、それは「いじめはダメだ」というテーマでは行わないと思います。

普通ならいじめが起きたとき、「いじめはダメだ」というテーマで指導をしますよね。

普通はそうですよね。

指導した感も出るし、保護者に報告もしやすいし。

 

でもね、僕はそれはしないなって思う。

そうすることで被害者と加害者が鮮明になります。

「悪い子はだれか」という意識が子どもたちの中にはっきりします。

善と悪の存在が明確になります。

教室に善と悪をつくることが、教育の場として必ずしも望ましいことだとは思いません。

 

それにね、悪いことだから「いじめ」はしないんじゃないの。

そんなの、悲しいからしないんだよ。

そういうことすると、胸が苦しくなる大人に育ってほしいんだよ。

だからね、善とか悪じゃないの。

「いじめ」そのものが悲しくて、憎む対象であって。

でもね、罪を憎んで人を憎まずなの。

ちょっと、うまく表現できてる自信がないけど、伝わるでしょうか。

 

「いじめる子」「いじめられる子」

僕にとって、どちらも教え子です。

そりゃ、いじめは悪いことだよ。

許されることではないよ。

そんなことは百も承知です。

でもね、罰を与えればいいなんて、簡単なことじゃないんだよ。

「この子は悪い子だから罰を与えましょう」なんてのは、やっぱり違うと思う。

罰を与えることは教育なんだろうか?

そこに向き合うのが、教育者だろ?って僕は思う。

 

だれが悪くて、だれが可哀想で…みたいなのは、僕はなんだかやっぱダメだ。

 

だからね、もう一度「みんな違ってみんないい」という空気感を育てる時間をつくってやり直します。

 

 

「違い」とは「個性」です。

学校は社会の縮図です。

社会とは多様な存在が認められ、ともに生きていく場所です。

幸いにも、これまで僕のクラスには肢体不自由の子、外国人の子、発達障がいの診断を受けた子など様々な子がいました。

 

それでも、どの学級も思い出深く、みんな仲良く、本当に愛すべき子どもたちばかりでした。

僕はつねづね口にしてきました。

「みんなと同じでなくていい。あなたはあなたであるだけで素晴らしい。それぞれの個性や特徴を受け止めて、補い合うのが教室だよ」

 

『違い』を『間違い』と受け止めるクラスは、他者に不寛容です。

『違い』を『個性』と受け止めるクラスは、他者に寛容です。

 

だからね、僕ならば、まず「いじめはダメ!」という直接的な形ではなく「みんな違ってみんないい」ということを届けます。

だってさ、「いじめはダメ!」なんて、子どもたちはね、みんな知ってるの。

でもね、それでもね、いじめは起こるの。

だから、深いんだよ。

 

その深い闇に手を差し伸べるために、僕は何度でも子どもたちと語り合います。

みんなが気持ちよく暮らせる空気をつくろうよって。

 

まずは、教室の空気を整えるところからリスタートします。

どちらも大切な仲間だから、互いが輝くように僕らにできることはなんだろう?ってクラスみんなで考えていきたい。

 

教育者でありたいと思う。

そこは、愚直なまでに教育者でありたい。

僕らの志事は目の前の子どもたちをハッピーにすることだから。

たとえば、だれかにね、「お前の指導は甘い!ぬるい!ゆるい!」と言われてもね、寄り添うことを捨てられないと思います。

それが、僕の「在り方」だから。

 

2つ目、3つ目は次のブログで、お届けしますね。

それでは、また。

 

ハッピーな子どもを育てる大人になるためのしつもん

教育者として、教室にどんな空気を運びますか?

 

(「いいね」を押していただき「しつもん」の答えと一緒にシェアしていただけたら幸いです。)  

くればやし ひろあき

公立中学校で16年間3000人以上の子どもたちと出会ってきた思春期の子どもの専門家としてメルマガ配信。当初、学校の先生に向けて発信したが、先生たちには見向きもされず。なぜかお母さんたちの心を掴んでしまい、北は北海道から南は沖縄まで全国各地に呼ばれるようになる。個人セッションをスタートすると、お母さんたちで行列ができる。
気がつけば、幼保小のPTAや高校生、なぜかシルバー人材センターまで、いろんなところに呼ばれる講演家に。
「お母さんとお母さんをつなぐ」をコンセプトに『子育て万博』を主催。妻とともにお母さんコミュニティー『プレシャス』を主宰し、名古屋にてお母さんのための寺子屋『ラブリー』を開校。
また、STRインストラクターとして年間350名が入門講座を受講。その上位講座である門下生養成プログラムは全国16都道府県から参加し、3日で満員御礼となる。
365日、子育てからパートナーシップまで、人妻たちの悩みに寄り添う生活を続けている。
妻と3人の子どもの5人家族。1978年生まれ。出身地名古屋。