愛される子をリーダーにしてみる。
助けてもらえる子どもを育てる
「愛される人になりなさい」
僕は、学級の子どもたちに、常々伝えて続けてきました。
いかにして、助けてもらうか。
「人に助けてもらう能力」と呼んでもいい。
人生において、とても大切だと思うのです。
あまり勉強が得意ではない女の子がいました。
運動もそこそこ。
部活動では、レギュラーと補欠を行ったり来たり。
取り立ててリーダーシップがあるわけでもありません。
ところがです。
彼女が学級委員になると、学級がうまく回るんです。
なぜか。
みんなが率先して手伝うから。
「いいよ、それは私はやっとくから」
「それは、オレがやるから任せろって」
笑えます。
仕事っぷりもマイペース。
でも、優しさだけは人一倍で、いちいち人のお手伝いをする彼女。
だから、自分のことは後まわし。
他の先生や他のクラスの学級委員からは叱られたりして。
それでクラスの子どもたちはがんばるんですね。
そんなことがあってから、僕はいわゆるリーダーシップのあるヤツを学級委員にはしないという流れで学級委員を決めていました。
一言でいえば、立候補禁止。
「どんな子が前に立ったら、みんなは心地よく暮らせますか?」
こんな「魔法の質問」に答えてもらいます。
そして、質問を重ねます。
「では、その人はだれですか?」
こういう質問をすると、いわゆる「声のでかいタイプ」は選ばれません。
まあ、子どもたちを管理したくたまらない古いタイプの先生は、「中間管理職」となって働いてくれるリーダーを育てたいでしょうからね。
いわゆる「先生の子分」みたいな生徒ね。
けっこうそういうリーダーを選ぶと学級がギスギスします。
そうそうある年のこと。
前担任から「この子が学級のリーダーです」と言われた子がいました。
僕は「見える」ので、この子は違うんじゃないかな…と感じていました。
まあ、そんなわけで、僕のやり方をしますと、そういう子はリーダーには選ばれないんです。
まあ、本人は不服そうでしたが、仕方がありません。
なにせその年は、ひどいいじめがありましてね。
その子も中心となってやっていた一人だったわけです。
前担任さんがそういう学級経営をされていたんでしょうね。
ずいぶん、いじめも見過ごされてきた。
絶対権力者がいて、中間管理職がいて…みたいなね。
その中で泣いている子もいたと。
解決には苦労しました。
話が脱線いたしましたね。
僕はそもそも「教室に先生はいらない」と思っていて。
教室を安心安全な居心地のいい場所にするだけでよくて。
そういう空間では、僕はもはやお呼びではないわけで。
で、そんな空間をつくりたいなら、リーダーは「管理者」ではなく、「愛される人」がいいんです。
クラスがうまく行かないときは、こんな声をかけるだけです。
「みんなが選んだリーダーが困ってるよ。あなたにできることは何ですか?」
ただそれだけ。
それだけで、淀んだ空気も澄みわたるのです。
これね、みんなで選ぶがポイントなの。
立候補させて、投票するでしょ。
んで、「みんなが選んだんでしょ?」は通用しない。
まあ、先生たちはよく使うんだけど、通用しない。
なぜかわかる?
そんなの国会議員と一緒。
政治について不満をもっている人は多い。
でもさ、
「みんなが選んだんでしょ?」
って話なわけ。
「それしか選択肢がなかったし…」ってことでしょ。
それを、「あなたが選んだんでしょ?」じゃあねえ?
そんなわけで、「愛される」って大切なポイントです。
今、『9月1日に君を死なせない』プロジェクトを進めています。
たくさんの人の支えで、進めることができています。
愛されているという実感があります。
本当に感謝です。
創造的な人生を生きるためのしつもん
どんな人と一緒にいるのが心地いいですか?