だれもが金八先生になれるわけではない。

その成功法則は、自分に合っているか
みんな、何らかの憧れをもって、「学校の先生」になっている。
だからだろうか。
「もっと慕われたい」
「子どもに言うことを聞いてもらいたい」
そんな相談をよくいただく。
けれど、忘れてはいけない。
人間には、いろんなタイプがいる。
「好きで得意なこと」だって違う。
日向で咲く花もあれば、日陰で咲く花もある。
だれもが金八先生になれるわけではないのだ。
そのことを腹に落とさないと苦しくなる。
「どうしてあの先生ばかり」と感じているなら注意が必要だ。
4番バッターばかりでは野球は成立しない。
いろんな得意分野をもってチームを形成していることを忘れてはいけないと思う。
エースの存在
児童生徒に慕われ、多少厳しいことを言っても許され、なぜだか愛される。
いわゆるスタープレイヤー。
そんな先生が、どこの学校にも一人くらいいる。
いわゆるカリスマ先生だ。
カリスマ先生が、転勤すると途端に学校が荒れるなんてこともある。
その先生のパーソナリティーだけで、指導を支えていると起こりやすい。
で、結局人間にはもって生まれた特性やら性格やら趣味嗜好やらがあって。
他人の成功法則が、必ずしも自分にとっての成功法則にはなり得ないのである。
プロデューサータイプの先生には、プロデューサーとしての輝き方があるだろう。
アーティストタイプの先生には、アーティストとしての輝き方があるだろう。
だから、巷の教育書を真似ても「学級経営」や「生徒指導」がうまくいかないのは、その本を書いている人とあなたが同じタイプの人間であるか、ということに関係している。
「つながる」という技術
だが、どんなタイプであろうと、これだけを大切にすればうまくいく、という万能のツールがある。
それが、「つながり」だ。
どんな教育技術よりも、圧倒的に強力である。
一言で言えば、信頼関係。
多少下手くそな授業だって許される。
多少下手くそな生徒指導だって許される。
ちゃんと人間関係を整えておけば、大抵のことは大めに見てもらえる!(笑)
だいたい人間関係なんてそんなもんだ!
そんなわけで、僕は子どもたちとの関係性を整えることだけを考えてきた。
僕はこれに優る生徒指導の方法を知らない。
パクる相手を間違えるな
僕だって、カリスマ先生になってみたかった。
けれど、僕はそんなタイプではない。
バリバリの生徒指導の先生を見て、憧れたこともあった。
一見怖い先生なのだけど、子どもたちにも慕われ、なんだかんだで元気のいい連中も彼の話だけは聞く。
僕は、そんな先生の次に生徒指導担当になった。
そういう先生の後釜というのは、苦しいものだ。
だから、僕はやり方を変えることにした。
同じことなんてできない。
僕は僕で、彼は彼だ。
「学ぶ」は「真似る」から始まる。
徹底的にパクるのは、とても大事だ。
けれど、パクる相手のタイプを間違えると、余計に苦しくなることがあることを忘れてはならないと思う。
子どもとつながる問いかけの魔法
関係性を整えるためにできることは何ですか?
