クラスに暴言を吐く子がいます!

もしもあなたのクラスに暴言を吐く子がいたら、
あなたはどんな対応を取るだろう?
今日はそんなお話。
昔、担任の先生に提出する「生活日記」に、
毎日暴言を書いてくる子がいた。
「死ね」と「バカ」しか書いてこない。
さあ、あなたはどうするだろう?
叱るのは簡単だ。
だけど、僕に日記を書いてきて僕が朱書きをするノートだ。
叱って書かせて、それに朱書きを入れて返すのって、なんだかバカバカしい。
ちょっと美学に反する。
そこで、僕は毎日クラス全員の生活日記に絵を添えることにした。
ブログやメルマガに描いてあるイラストはこうして生まれた。
暇を見つけては、音速でイラストを描き、そこに文章を添える。
全員だ!
やると決めたら、全員に書く!
そう!
それが僕の美学だ!
ところが、どうしても忙しい日というのがある。
生徒指導の案件が重なると、僕には空いた時間などなくなる。
すると、どうしても「手を抜く日」が出てくる。
ちなみに、「書かない」という選択肢はない。
「忙しいから書けませんでした」と言う先生がいる。
正直、クソだな、と思う。
そういう先公に限って、子どもに「ちゃんと書け」と指導する。
「毎日書きなさい」とか言う。
あの「自分のことを棚に上げられる能力」はすごい!
まあ、そんなわけで、忙しい日は「死ね」「バカ」と書いてくる彼ら(一人じゃないんかい!)のイラストは棒人間になる。
面白いのは、ここからだ。
彼らが文句を言うのだ。
「なんで俺らだけ、棒人間なんだ!」って。
僕は一言、こう問いかける。
「なぜだと思う?」
以来、彼らは「死ね」「バカ」と書いてくることはなくなったわけだ。
そんなわけで、僕の学級になると、嫌がらせのように朱書きで埋め尽くさせる。
毎日、相田みつを状態になる(笑)
暴言を吐くことが問題なのではない。
暴言を吐くに至る過程に問題があるのだ。
つまり、問題はこの子ではなく、この子を取り巻く環境に「何か」があると見ればいい。
そこにあるメッセージをプロならば読み解きたい。
暴言の裏には「かまって!」「僕を見て!」が隠れている。
だからこそ、叱っては解決しないのだ。
「叱ること」が教育だと思ってるバカにはわかんないだろうけど。
子どもとつながるってことはさ、その子の本当に伝えたいことを読み解くってことさ。
昔、都合が悪くなると過呼吸症候群を起こす子がいた。
養護教諭さんの見立てでは「自作自演」が濃厚だった。
じゃあ、「あなた、そういうことはやめなさい!」と言ったら、解決するだろうか?
…って話と変わらないわけだ。
では、最後に僕のクラスにそういう子がいたら、僕はどうするだろう?
「俺はお前の言葉は好きじゃない!」
とハッキリ言う。
注意ではなく、意思表示。
「その言葉は、この教室にふさわしいとは思わない!」
でもいいかな。
明確に自分の意思を伝える。
これは暴言を吐かれた子へのフォローにもなる。
「ルールだから」とか「道徳的に」とか、外の何かと結びつけるのは、大人の弱さだと思う。
そういう大人を子どもたちはすぐに見抜く。
「俺は好きじゃないけど、お前らはどうよ?」
こんなやり取りをするかな。
まあ、でも、これは僕の答えね。
こんなものに正解はないよ。
だから、子育てや教育は難しいよな。
もう6月。
学級にどんなグランドルールを作ってきたか、にもよるよな。
そこがいいかげんだったら、指導は入りにくいかもしれない。
僕は「いじめをゆるさない」が一番にあり、「自分がされて嫌なことを人にするな」が絶対的なルールだったから。
「それ破ったら、俺、むちゃくちゃやっちゃうよ」ってのは、子どもにも保護者にも明確に伝えていた。
そういう「本気」のやりとりがあっての、「俺は好きじゃないけど、お前らはどうよ?」なわけね。
「叱る」なんて選択は最後の最後。
「自分の負けです、力不足です」って認めたときの手段なわけ。
子どもとつながる魔法の質問
どんな大人が好きでしたか?
