自分のグラスを自分で満たそう♪
悪口をもらっても困ります。
学校の先生から、こんなメールをいただきます。
「こんな子どもがいるんです」
「こんな保護者がいるんです」
いかに子どもが悪いか。
いかに保護者が悪いか。
そんなメールを一方的に送りつけてくる。
そんなメッセージが一番困ります。
あぁ…、そうですか…。
僕に何を求めているのでしょうか。
僕は何度も何度も書いていますが、子どもの味方です。
だからこそ、お母さんの味方です。
決して先生の味方ではありません。
ただし、志の高い教育者の味方ではあります。
ハッキリ断言しておきますね。
「子どもが悪い」「親が悪い」と言ってくる先生の味方であろうとは思いません。
でね、
「こんな子どもがいるんです」
「こんな親がいるんです」
というメールをいただくでしょう?
僕は返事に困るわけです。
(ちなみに、「こんな先生がいて困る」はウエルカムです♡)
だって、その人が求めているのは「賛同」です。
「辛いですね」
「大変ですね」
って言ってもらいたいわけです。
だけど、僕は本音しか書きたくないわけです。
でも、本音で書くと、逆襲のメッセージが届くわけです。
「そりゃ、アンタの対応の問題なんじゃね〜の?」とか書いたら、面倒臭いことになること必至でございます。
過去にもありました。
「私が悪いって言うんですか?」と。
一方的に子どもや保護者の悪口を送りつけておいて、反論したら逆ギレするという…。
マジで、メンドくせ〜よ!
でね、まあ、そんなことはいいのです。
心が広いので。
受け入れ、認め、許し、愛します。
けれど、僕はそんな先生に「満たされないもの」を感じてしまうわけです。
認められたい。
共感してほしい。
そんな満たされない思いです。
でもね、これ大事だから伝えておきますが、僕はあなたを満たせませんよ。
自分を満たすのは自分です。
あのね…。
自分を満たすのは自分しかいないんですよ。
一生懸命SNSに投稿して「いいね」を100個、1000個と集めても、自分を満たすことはできません。
どれだけ贅沢をしても、どれだけ他人に評価されても、自分を満たすことはできないのです。
自分以外で自分を満たすことはできません。
僕らは比較の中で生きています。
比べることで自分の現在地を知る。
そんなところがあるんです。
だから、外にばかり目が行く。
でもね、優越感では自分のグラスを満たせないのです。
子どもの犠牲になってはいけません。
「子どものために」
「子どものために」
そうつぶやいて、子どもの犠牲になっている感を出すお母さんがいらっしゃいます。
でもね、子どもの立場で眺めてみてください。
「私のせいでお母さんは苦しいの?私は生まれてこなければよかったの?」
となってしまいます。
子どものために、こんなにがんばっている自分。
そんな自分をだれかに認めてもらいたい自分。
ソイツの正体はエゴ。
そんなエゴが顔を出したとき、子どもは何を受け取ってしまうでしょうか。
子どもで自分のグラスを満たすことはできません。
自分のグラスを満たすのは、いつだって自分です。
「ウチの子はすごいんです」
そう言われるたびに思うのです。
子どもはみんな、すごいんです。
だれかが特別ということはなく、みんな可能性に満ちあふれた存在です。
ただ、その可能性を摘んでしまう他者がいるだけなのです。
「ウチの子が」
「ウチの子が」
そんな言葉を耳にするたび、満たされていない気持ちを受け取ります。
まず、自分のグラスを満たすこと。
生き生きと生きていること。
そんな姿を子どもに見せること。
大人は「生き方」で魅せるんですね。
「早く大人になりたいな」
「お父さんお母さんみたいな大人になりたいな」
って思ってもらえたら、それ最高の子育てなんですよね。
子どもとつながる問いかけの魔法
まず自分で自分のグラスを満たすことから始めましょう。