先生ってのはさ、覚悟のいる志事なのだよ。
小学校の先生からいただいたメッセージ
いじめの問題がおこると正直
「厄介な問題が起こったなぁ」
「
と思います。
で、
そして、
実際、
そんな現実を目の当たりにすると
「またかぁ、
と思ってしまいます。
いじめが起きる時は何となく、
あまり信じたくはないですけど、教師の「また、
その教師への不満がいじめという形に、
だから、
小3だからできて、
そして、「違い」は「間違い」ではなくて「個性」
先生、覚悟はありますか?
こんなことがありました。
「そろそろ席替えをしたいね」ということが子どもたちの間で話題になりました。
ところがその日、僕は不在。
「明日先生が来たら相談しよう」ということになったのだそうです。
迎えた翌朝。
それを提案したのは、クラスでちょっと浮き気味の子でした。
勇気を出して手を挙げたのでしょう。
「昨日話題になった席替えは…」
そう言いかけた瞬間、周囲の子たちがわ〜っとしゃべり出しました。
「そんなの、もうよくない?」
「いいよいいよ、別に」
この子の言葉を遮るように、一斉に反論し出したのです。
僕がそのとき感じた教室の空気。
とって攻撃的で、とっても不穏で、とってもダークでした。
「なあなあ。自分ら昨日の時点で、その話題になったとき、何も言わんかったんだろ?
むしろ、やろうって感じだったから、今日相談するわけだろ?
で、今日は何?
なんで、そんな攻撃的な言い方すんの?
◯◯が切り出したことに引っかかっただけだろ?
なんか、俺はそういうの、気に入らないね。
今感じた教室の空気感、気に入らないね。
小ちゃいわ、なんか。
それを良しとする空気もさ。
なあ、この空気さ、心地よくないぜ」
僕はいつも魂で志事をしている。
忘れ物をしようが、暴れようが、唾を吐きかけられようが、大して腹も立たない僕だけど。
教室でだれかを傷つけることがあったときだけは勝負をかける。
ここはゆずれないなって思うのです。
保護者から苦情が来ようが関係ないね。
教室でだれかを傷つけようとしたときだけは、ゆずらない。
それはね、もう本気だから。
被害者だけじゃないよ。
加害者のことも、僕は愛してるの。
全員愛してるの。
だから、そこはゆずれないの。
他人のこと、平気で傷つけられる大人になってほしくないもん。
傷つけるのも傷つけられるのも悲しいじゃない?
いじめだと感じた瞬間が、チャンスなんだ。
その一瞬を見逃したら、ピンチなんだ。
もうね、ここは感性。
40人も一つの教室で暮らしていたら、いじめの一つ、嫌がらせの一つ、人間関係のすれ違いの一つぐらい、いつだって起きる。
大人の世界でもあるんだよ。
まして、子どもの世界だもん。
あるに決まってるじゃない?
僕は保護者会で「クラスにいじめはありますか?」と聞かれたら、こう答えています。
「今、僕の見える範囲では起こっていません。
けれど、僕には見えていないだけで辛い想いをしている子もいるかもしれません。
それを見逃さない高いアンテナを持っていたいと思います。
そして、いじめが起こったならば、お母さん方がなんと言おうと、僕は許しません」
結局、覚悟を決めて腹を括れるかなんだと思います。
うまくやろうと思うとうまくいかないんです。
小手先でなんとかしようとするとうまくいかないんです。
結局最後は覚悟なの。
うん!志事は魂でやるものなんです。
ハッピーな子どもを育てる大人になるためのしつもん
覚悟を決めて、やっていることは何ですか?
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