『いじめはゆるなさい宣言』をしておく
初動の遅れを生み出すのは「迷い」
「いじめ」は、被害者が「いじめられている」と感じたら「いじめ」です。
とは言え、殴る蹴るといった暴力、面と向かって「バカ」「アホ」という言葉の暴力、なんていうわかりやすい「いじめ」ばかりではありません。
むしろ初期の「いじめ」は、
「おゃっ?」(ちょっと今の、感じ悪くない?)
というとてもつかみづらいものだったりします。
その基準も、とても曖昧だったりします。
ですから、「いじめ」と判断して動き出すと、「学校は騒ぎすぎ」などと加害者の保護者から反撃にあうこともあります。
そして、この反撃は少しずつ学校を、そして先生を臆病にさせていきます。
どこからが「いじめ」で、どこまでが「いじめ」でないのか。
この判断の迷いが、初動を遅らせます。
「いじめは許さない宣言」で「迷い」を断ち切る
だから、僕は「学級開き」の日に「いじめは許さない宣言」をしておきます。
学級通信の第1号は「いじめは許さない」と書きます。
学級懇談会でも、「いじめは許さない宣言」をします。
学校の中で辛い想いをしている子がいれば、それは「いじめ」です。
冗談だろうが、からかっただけだろうが、「いじめ」です。
僕は「いじめ」を絶対に許しません。
これを必ず伝えます。
異論を挟む隙間のない「正論」です。
まず宣言しておく。
こういうときは「正論」に勝るものはありません。
宣言をしておくだけで、とても動きやすくなります。
ハッピーな先生になるためのステップ
あらかじめ「いじめは許さない宣言」をしておく