教員を辞めるためにがんばったことは?


 

こんばんは。いつもメルマガ、Facebookを楽しませてもらってます。

せっかくなので自分も「しつもん」してみたいと思います。

教員をやめるためにまず初めにがんばったことは?

教員をやめるために収入をどのようにカバーをしたのか?

以上の2点です。よろしくお願いします。

 

僕は「教員を辞めたい」と思ったことはないの。

だって、好きだもん、この仕事。

教室が大好き。

 

 

でもさ、人生って一度きりじゃん?

死ねば終わりじゃん?

だから、一つしかやれない人生って、面白くないよな〜って思った。

 

 

これからの時代は超高齢社会。

人口減少だって止まらない。

そういう時代だから、年金支給額は減らされるし、年金が支給されるのは送らされる。

当然、定年は引き上げられる。

おそらく70歳までは働く世代だよね。

 

 

って考えたときにさ、60歳まで校長やって、そこからまた高等学校の渉外やったり、現場で教員やったりってきついなぁって思ったの。

70歳で炎天下で運動会の指導とか、リアリティーがなくてさ。

 

 

んで、「やっぱ起業だな」と思ったわけ。

起業するとなったらさ、いつにする?って考えるじゃん。

 

 

40歳?50歳?60歳?

さあ、いつ独立しようか?って考えたらさ、そりゃ若い方がいい。

人に教えを請うにしたって若い方が教えてもらいやすい。

バイタリティーだってある。

 

 

なんと言っても、失敗してもまた立ち上がれる。

若さって素晴らしいよね。

 

 

知ってる?

今日が僕の歴史上一番寿命が長い日なの。

だから、やるなら今しかないわけ。

 

 

グズグス言ってないで、やれ!って感じね。

 

 

だから、仕事を辞めるためにがんばったんじゃないの。

独立するためにがんばったの。

 

 

「えっ?同じじゃない?」って思ったあなた。

うん、そういう人は独立なんて考えない方がいい。

全然違うから。

 

 

いい?

僕ね、学年主任で学級担任で進路指導主事で研究主任で国語主任で図書主任で授業2学年行って学年会計までやらされて「学年だより」と「学級通信」を書き、修学旅行の細案も総合学習の計画も全部僕がやっていたの。

 

 

いや、もうね、超絶ブラック企業だよ。

死んだら過労死に認定される仕事量だよ。

でも、僕は定時で帰る。

遅くとも18時には職場を出る。

 

 

「仕事、辞めたい!」ってエネルギーじゃ、こんなことできないよ。

「俺、独立するんじゃ!こんなことに時間を使ってられるか?」ってエネルギーね。

だから、ラストの2年間はすごい勢いで仕事をしてた。

 

 

で、帰ったら深夜まで「これからの準備」をしてたの。

独立の準備ね。

それができるのはさ、ワクワクのエネルギーからなの。

 

 

やりたくないから辞めるんじゃないの。

やりたいことがあるから辞めるの。

これ、ポイント。

 

 

だから、まず僕がやったことはね、本業をがんばるってことだね。

んで、定時で帰る。

従業員としての仕事を鬼速で片付ける。

片付けたら独立の準備をする。

 

 

まあ、これをやってみると、自分が独立する度量があるかも見えるかもしれない。

「そこまでして独立したくないなぁ」とか「やっぱ教師の仕事が好きだなぁ」とか、再確認できるかもね。

 

 

リミット決めて、準備を始めるのがいいよ。

準備すると、自分の「本気」と向き合えるから。

 

 

ダイエットが3日坊主なのは「本気」じゃないからなわけ。

やっぱ、動くと自分の「本気」に気がつけるよ。

 

 

「いつか独立したい」とか言ってる人は、独立しないから。

本気で独立する人は、ごちゃごちゃ言ってないで動いてるから。

まず、動けって話なわけね。

 

 

収入なんて、退職金で1年ぐらいは死なずに生きていけるでしょ?

1年の間にビジネスを構築すればいいじゃない?

 

 

あなたに贈る魔法の質問

 何を仕事にしたいですか?

 

くればやし ひろあき

・株式会社ミナクル組織研究所 代表取締役

・フォロワー10万人の教育系TikTokクリエイター「くれちゃん先生」としても活躍中。人間関係や教育についての動画を配信

・1978年、愛知県生まれ。16年間公立中学校の教員として3,000人以上の子どもたちを指導。名古屋市内で最も荒れた中学校で生徒指導の責任者を務め、その後、文部科学省から上海に派遣され、当時世界最大の日本人学校であった上海日本人学校の生徒指導部長を務める。

・互いの「ものの見方や感じ方の違い」を理解し合うことで、他者に寛容な社会を実現したいと願うようになり、2017年独立。

・独立後は、教員時代の経験を活かし、全国の幼稚園や保育園、学校などで保護者向け講演や教職員研修を行う。2018年・2019年には、100人のボランティアスタッフを束ね『子育て万博』を主催。今年10月にパリコレクションのキッズ部門を日本に誘致して開催された『Japan Kids Fashion Week2021』において、全体計画及びキッズモデル・ボランティアスタッフ総勢150名のマネジメントを担当。

・2020年11月、「スタッフみんなが、明日も生き生きと来る!」を理念に、株式会社ミナクル組織研究所を設立。経営者、教職員、スポーツ指導者など、組織のトップや人を指導する立場の人たちから依頼を受け、人間関係づくりやチームづくりに関する講演や企業研修、教職員研修を行っている。経済産業省の事業再構築事業として人材分析システムを開発中。