親の期待に応えたい子どもたち

26歳で父親になった僕は、そのころ必死になってサッカーを指導していました。
それで、サッカーにちなんだ名前を息子につけました。
幼稚園児のときに地元のサッカークラブに入れました。
今もサッカーは続けています。
ところが、どれだけ贔屓目に見ても、サッカーで大成するようには見えません。
試合だってなかなか出られませんし。
正直言えば辞めたっていいのになと思っています。
本人は好きで続けていると言います。
でもね、ときおり行きたくなさそうにしていて、
「休んでどこかに行こうか?」
そういうと、ほっとしたような顔で休みます。
そうこうしているうちに、娘までサッカー部に入りました。
球技だけは不得意なのにな。
運動会では児童会役員として活躍したり、体育委員長として2分以上のスピーチをしたりと、本当に子どもたちはがんばっています。
でも、そんな子どもたちの姿にどこかで「親の期待に応えなければならない」という「恐れの気持ち」を感じてしまうのです。
二人は競ってばかりいます。
「比べなくていいんだよ」
そう伝えるのだけれど、二人は互いを比べてばかりいます。
どちらがお父さんとお母さんのおメガネに叶うか競い合っているように感じてなりません。
そうであるならば、問われているのは大人の在り方なのですね。
映画『かみさまとのやくそく』で出逢った言葉。
「親を幸せにするために生まれてきた」
この言葉は、子育ての『鍵』になる言葉です。
親が望む子に育つことを期待すれば、子どもはその子らしさを失ってしまいます。
この子はこの子であるだけで素晴らしい。
ありのままのこの子を、受け入れ、認め、許し、愛する。
この子がこの子らしくあるためには、それが大事なんですね。
子育てに迷ったときに出逢いたい100の言葉
親の理想通りよりも、
この子らしくある方がうれしい。
