「ホントの自分」とつながれる子
「親の望むように生きなければならない」
これまで、そんな「こうでなければならない」という「恐れの選択」を抱えた子どもたちに、たくさん出会ってきました。
「私、この高校に行きたいんです」
そういう子に僕は問いかけます。
「どうしてその学校に行きたいの?」
「えっ⁉︎偏差値が高いから…?いや…、あの…、有名だから…」
「どうして偏差値が高いといいのだろう?有名だといいのだろう?」
「わかりません…。でも、その学校に行かないとダメなんです」
そうやって問い続けるとね、子どもたちの中にある基準って周囲の大人に作られたものであることに気づかされるんです。
周囲が生み出した「こうでなければならない」の中で苦しんでる。
この子は「こうしたい」という選択をしているわけではなく。
周囲の期待に応えなければならないという意識がそうさせているのですね。
そして、僕が気づいたこと。
そういう「恐れの選択」の中で生きている子ほど、「しつもん」の答えがなかなか浮かんでこない…。
なかには、「しつもんされると苦しい」という子がいます。
自分に問いかけて「ホントの自分」に出会うと苦しくなります。
「しつもん」って、「ホントの自分」とつながるツールなんです。
「自分はこうしたい」
「自分はこんなふうに生きたい」
そういう「ホントの自分」に出会うことにフタをしている子にねを、もう何人も出会ってきました。
一見とってもいい子に見える。
もしかしたら、そんな姿の子って周囲からも期待されるわけで。
期待されればされるほど苦しませているのかもしれないな。
「親の望むように生きなければならない」
映画『かみさまのやくそく』で出逢った言葉。
「親を幸せにするために生まれてきた」
ちょっとニュアンスは違うのだけれど、僕はその本質は変わらないと思ってるんです。
これね、決してスピリチュアルな言葉ではないんですよ。
そういうことを言いたいんじゃないんです。
結局、僕らは愛されたい。
認められたい。
そういうところがだれにでもあります。
もっとも身近にいる大人である両親に愛される、認められるために必死に喜んでもらえることをしているのかもしれません。
であるならば、本当に親の在り方が問われていると思うのです。
子育てに迷ったときに出逢いたい100の言葉
ただ愛する。ただ認める。必要なことは、たったそれだけ。