子ども観が変わると、見え方も変わります。
人は自分だけのシナリオを持って生まれてくるらしい。
そのシナリオをクリアできる能力を持っているから。
そのシナリオを選んで生まれてくるんだって。
生まれてくる前のことなんて、僕にはさっぱりわからない。
でもね、それがホントかどうかなんて、それこそどうでもいい話なわけで。
そういう人間観って素敵だなって思うんですね。
子どもはね、ちゃんと自分のシナリオを乗り越えるだけの能力を持って生まれてきている。
子どもは既に持っている。
そんな子どもへのまなざし。
そこがいいな。
とっても素敵だなと思うんです。
そういう人間観であるならば、子どもを取り巻く大人にできることはたった1つなの。
既に持っているものを伸ばすお手伝いをするだけ。
ところがどうして。
大人ってついつい子どもは何も持っていないという見方をしてしまうんですね。
そこからスタートすると、「力をつけなきゃ」「何かを身につけさせなきゃ」という思考に陥ります。
「できる」「できない」でフェイルターで子どもを眺めてしまう。
「できないこと」にフォーカスして、それを「できること」にすることに一生懸命になる。
子どもを変えることに奔走するのね。
でも、子どもは変わらない。
だから、イライラするんだけど。
だって、変えられるのは自分だけなんだもん。
いい?
「こうでなければならない」という恐れの選択が、子育てを苦しくさせてるんだよ。
足りないものを探すより今あるものを磨いていく。
磨いていくのは、子ども自身なの。
変えられるのは自分だけだから。
子どもが自らを磨いていくんだ。
そしたら、大切なことはただひとつ。
子どもに「愛の選択」をさせること。
子どもの内側にある「これがしたい」「あれがしたい」を大切にしてあげることなんだよね。
そういう温かなまなざしの中でこそ、自尊感情ってのは育っていくわけで。
この子はこの子であるだけで素晴らしい。
それを、子ども自身が実感できるといい。
「僕は僕でいいんだ!」
そう言える子って素敵だな。
子育てに迷ったときに出逢いたい100の言葉
今あるものを温かいまなざしで眺めれば、見えるものは変わる。