変えられるのは自分だけ

ときおり、「だれかを変えたくて仕方がない人」に出会います。
変えられるのは自分だけ。
けれど、自分を変えるのではなく、自分以外のだれかを変えようとするんですね。
「それ、違うんじゃないですか?」
そう尋ねられる。
「その考え方は間違ってます」
そう指摘される。
考え方に正解も不正解もないのだけれど…。
そんなときも僕はその人に寄り添いたいから、じっくり耳を傾けます。
受け止めるんですね。
受け入れはしませんが、受け止めます。
(そういう考え方もあるんだな…)
そうやって受け止めることで、自分の考えをバージョンアップさせていきます。
ところが、です。
「だれかを変えたくて仕方のない人」は、それでは収まりません。
「だからね、先生の考えは間違ってると思うんです」
はぁ…(ー ー;)
「こういうときは、こうすべきなんです」
はぁ…(ー ー;)
僕は1ミリもこの方の考え方を否定もしていないし、変えようなんてこれっぽっちも思っていないのに。
全力で土足で内側に上がりこんでくる。
どっと疲れが出る瞬間です。
こちらが考えを変えるまで終わりませんから。
僕のダークサイドな部分が顔を出します。
(マジ、面倒くさいんだけど…)
子どもたち。
そういう大人に出会うと苦しいよね。
子どものことをコントロールしようとする大人。
自分の考えを押し付けようとする大人。
僕もそんな大人の一人だけれど…。
子どもたちはね、大人たちを変えようだなんて1ミリも思っていない。
それなのに、大人たちは全力で子どもたちを変えようとしてくる。
「あ〜しなさい」
「こ〜しなさい」
と自分の価値観を押しつけてくる。
だからね、子どもたちは大人と子どもの境界線にバリケードを作るんだよね。
それを反抗期なんて呼んでるけれど。
じゃあさ、反抗期を作っているのはだれだろう?という話。
いわゆる反抗期、ず〜っと思春期の子どもと過ごしてきてね、気づいたの。
僕、反抗されないんです。
なんでだろう?って考えたら気づいたの。
反抗する必要がない
反抗する理由がない。
ただそれだけ。
子どものこと、変えようだなんて思ってないから。
子どもの心に寄り添って、自分自身が変わっていくだけだったから。
周囲に問題を見つけようとするから、周囲を変えようとするのです。
周囲の状況を引き寄せているのは自分です。
変えられるのは自分だけ。
「こんなに私はやってあげているのに、この子はどうして変わらないんですか?」
そんなご質問をいただきました。
答えは簡単です。
子育てに迷ったときに出逢いたい100の言葉
自分の在り方を変えたらね、子どもが変わったように見えるの。
