親の意向に沿って生きさせるの?
「僕、外交官になりたいんです」
そんな子がいました。
勉強熱心でね。
でも、あまり学力は高くないから苦労していました。
それでね、僕は尋ねるわけです。
「へ〜っ、外交官って何する仕事なの?」
すると、こんな答えが返ってくる。
「わかりません」
僕は不思議に思いました。
仕事はわからないけれど「なりたい」って、ちょっと違和感がありません?
「何するかわからないのに、
外交官になりたいんだ…?」
すると、彼はこう答えました。
「お母さんが喜ぶから」
そうなんだな…。
彼は「お母さん」が描いた人生を一生懸命生きようとしていました。
人はだれもが愛されたい。
まして、子どもはお母さんを幸せにするために生まれてきた。
お母さんを喜ばせたい。
親の何気ない一言に、子どもたちは敏感です。
僕は子どもにサッカーをやらせたかった。
そんな気持ちを察してか、長男はサッカーを始めました。
でも、芽は出ません。
親のひいき目に見ても、才能を感じません。
(無理してサッカーをやらなくてもいいのにな)
そう思っていました。
中学生になってバレーボールを選びました。
僕は何となく肩の荷が下りたような気がしたんですね。
長女もサッカーを始め、次男坊もサッカーを始め。
親の意図など気にする必要ないのにな…と思いつつ。
とはいえ、それもまた彼らの選んだ人生。
子どもに寄り添いながら、ただそれぞれの夢を応援するだけでいい。
問われているのは、僕らの在り方なのです。
子育てに迷ったときに出会いたい100の言葉
この子の人生の主人公は、この子なのだ。