教育者という生き方
目の前に苦しんでいる子がいたとして。
それに目を瞑ること、
可能なんですよ。
それを無視すること、
可能なんですよ。
でもね、
それができないから
教育者なのです。
教育者だから
子どものために働くんじゃないの。
子どものために
突き動かされてしまうから
教育者なの。
そういう生き方しかできないんだな。
あなたも僕も。
子どもが悩んでいれば行って、
話を聞き。
子どもが勉強をわからないと言えば、
行って教えてやり。
子どもがこんな進路に進みたいと言えば、
それを調べ。
「先生、これおもしろいよ」と言われれば、
興味がなくても読み。
雨ニモ負ケズ♪
風ニモ負ケズ♪
朝早くから夜遅くまで、
頭の中は子どものことでいっぱいになる。
どんな子どもも、
どうしたって見捨てることはできず。
どれほど悪態をつかれようが、
それでも愛してしまう。
それを「お節介だ」と言われても、
「そこまでするな」と言われても、
教育者というものは、
そういう生き方しかできないのだよ。
叩かれたっていいじゃない?
そういう生き方を選んだのは
あなたです。
感謝なんてされなくたっていいじゃない?
そういう生き方を選んだのは
あなたです。
愚直なまでに、
目の前の子どもをハッピーにすることだけを考えている。
それでいいじゃないですか?
ハッピーな先生になるためのステップ
あなたを突き動かすものは何ですか?