勉強しない子供に勉強させたいなら…
人間から意欲を奪うもの
成果が出ないとやる気を失う。
そういうところって、人間にはあると思うの。
ダイエット始めたばかりのときって苦しくて、結果が出る前に挫折しちゃうことが多い。
THE三日坊主!
それから、ダイエットすると停滞期ってあるのね。
途中、なかなか体重の落ちない時期がある。
そんなときも挫折ポイントだったりする。
思うように成果が出ない時間って、人間から意欲を奪っていくんだよね。
ある意味ではテストを繰り返す学校ってのは、子どもたちから学ぶ意欲を奪っているのかもしれないな。
テストの点数でお前の価値は決まらないぜ!
まあ、学校の先生は勉強ができるからこの子は優れていて、この子は勉強ができないから劣っているなんて見方はしていないのだけどね。
少なくとも、僕はそういう先生には出会ったことがないわけで。
「できてる」「できない」は評価するよ。
それが仕事ですから。
でも、それって人間的な価値とは別問題じゃない?
そこに人間的価値と結びつけちゃってるのは一体だれだろう?って話なのね。
「こんな成績で情けない!」とか。
「あの学校に入れなきゃダメ!」とか。
学習成績と人間的価値を結びつけちゃいないの。
テストの点数が悪くたって、怒ったりしない。
もう明らかに努力不足のときは、小言も言うだろう。
でも、点数は所詮点数であって、人間的な価値とは無関係なわけ。
まあ、なかには「クラス全員が満点を取るまでやらせます」的なノリの先生もいるみたいだけど。
僕、そういうの、ダメなんです。
生理的にダメってヤツね。
そういう先生を「素晴らしい」みたいに評価する人もいるからね。
「指導力がある!」「熱心!」って。
価値観なんて人それぞれだから、「良い」とも「悪い」とも思わないけど。
一言で言うなら「嫌い」。
それだけ。
全員が満点?
別にそんなこと、どうでもよくない?って思っちゃうわけ。
「勉強ができない?じゃあ、勉強以外で勝負しようよ」
「学校に行きたくない?じゃあ、行かなくてもいい方法を考えようよ」
こんなことを言うから、やる気のない、指導力のない先生に見えるんだろうな。
OK!
OK!
不適格でいいです。
はい、どうも♪
目の前の子供がハッピーなら、僕への評価なんて、どうでもいいんだもん。
大人が学ぶ姿を見せているか。
学ぶことは本来楽しいこと。
知的欲求を満たすってのは、気持ちいいことなんです。
人は知りたい欲求にあふれているわけで。
だけどさ。
大人だって一緒なんだよね。
通勤電車の中、ほとんどの人がスマホをイジっている。
ゲームをしたりネットサーフィンをしている。
いわゆる「ひまつぶし」ってやつね。
ちなみに、名古屋の名物は「ひつまぶし」ね。
「もったいないな」って思う。
その時間をどれだけ投資できるか。
そこに、人生を好転させるチャンスがあるんだけど。
僕は「読書」をおすすめしたい。
ネットの情報に価値がないとは言わないよ。
でも、書籍のそれには敵わない。
圧倒的な成功者が一年近くもかけて書いているんです。
編集者と手を取り合って、一つの作品を作り上げる。
そこに出版社は何百万円も投資して流通させている。
当然、それだけのコンテンツになっているわけで。
それなのに。
最近、電車内で読書している人を見かけなくなった。
スマホでゲームをしていても人生は好転しない。
圧倒的に学ぶのだ。
居酒屋で愚痴っても人生は好転しない。
圧倒的に成功者に会うのだ。
大人が学んでいる姿を子供たちに見せること。
子供に勉強させたいなら、それ、はじめの一歩じゃないかなって思う。
そういう意味じゃ、お父ちゃんの役割って、そこにあるんじゃないかな?
そんでもって、父ちゃん母ちゃんが毎日楽しそうに生きている姿を見せることも大事だと思うんだ。
子供は思ったようには育たないけれど、僕らが振る舞ったように育つからね。
さて、今日はどんな姿を見せようか?
子育てに迷ったときに出逢いたい100の言葉
楽しく学んでいる姿を、子供に見せられていますか?