安心なんてものは最初からなかったのさ。
僕は野心家だし、好きな言葉は「努力」だし、ブラック企業でも生き残る自信100%だし。
まあ、そんな人間だから、あらゆる教育論文は最年少でクリアし、出世街道まっしぐらだったのが、ある意味教員としてのアイデンティティーだった。
名前を聞けば、誰もが「あの学校ですか?」という学校で、生徒指導主事もし、進路指導主事もし、そこから海外赴任。
ある意味、順風満帆で、申し分なく。
このまま「校長先生」になっちゃうのが既定路線だった。
だから、辞めた。
「努力」と関係なく進んでいく。
そう、それはだれかが築いたレールの上を走るような人生。
僕はそれに耐えられなかった。
たった一度の人生なのに。
「もったいない」という意見をたくさんもらったけれど。
「公務員は安定しているからいいよね」なんて皮肉を込めて言われるけれど。
「大手」を選んだあなたの感覚だって似たようなもんだろ?っと思う。
そもそも安定しているから「学校の先生」を選んだわけじゃやない。
メンタルな部分で言えば、かなり不安定な職業だと思う。
最後まで潰れずにやり抜くのは難しい時代なのだ。
まあ、それはこの記事では置いておこうと思う。
僕は、たった一度の人生をコンフォートゾーンで過ごし続けることの方が「もったいない」と感じたのだ。
一言で言うと、「つまんねえ」。
生きてることがつまらない!
本当にそう感じた。
それだけ。
そして、辞めたからこそ、フットワーク軽くどこにでも行ける。
PC1台で仕事になるから、今いる場所がどこであるかは、大した問題じゃない。
仕事は与えてもらえないけれど、自分で仕事を生み出すことができる。
好きで得意なこと、やりたいことしかしていないから、目が覚めてから寝るまで仕事をしている。
はっきり行って、「職業=オレ」だから、超ブラックだ。
「生きること=仕事」なんだから仕方がない。
全国で講演やワークショップをさせていただいたり、商品開発をしたり、コラボでコンテンツを作ったり。
なにひとつ保証なんてないし、安心なんてゼロだけど。
だからこそ、自由なのだ。
思うに人は、安心を手に入れると、今度はそれを失うことを怖れる。
よくよく考えれば安心なんて、どこにも転がっていないのだ。
僕だって不安だ。
子どもが3人もいるのだ!
だが、そもそも安心なんてものは、この世界には存在しないのだ。
存在しないものを追い求めるから苦しくなる。
そういうものだと思うのだ。