魂が喜ぶ生き方をしてますかーーーっ?


今日はスピッた話をするぜ!

愛あるステキなあなたへ♡(←田宮陽子ちゃんのパクリ)

 

 

今回の話は、

「マジで信じられないっすよ」

って話かもしれませんから。

 

 

信じられない人は、

遠慮なくスルーしてくださいね(笑)

 

 

 

ふと、降りてきたメッセージを書いておきます。

 

エッ?どこから降ってきたか?

天からっスよ、天(笑)

宇宙かな…。

まあ、なんでもいいです、そこは。

 

 

僕にとって備忘録のようなものなので、あまり気になさらないでください。

 

 

僕とあなたは同じ

どうやら、僕とあなたとの間には境目がないようなのです。

深く深く掘り進めていけば、同じ水脈にぶち当たる。

僕らは、そんな感じで奥底でつながっているようなのです。

 

 

だから、魂が喜ぶ仕事をすると、そこに共鳴が生まれます。

僕の魂が喜ぶと、あなたの魂が喜ぶ。

奥の奥の水脈で響き合って、互いの魂が喜び合う感じです。

 

 

だから、僕とあなたには境界線がありません。

僕がブログやメルマガを通して、あなたを感動させようとしても、あなたは一切感動しません。

そこには、僕の意図があるからです。

意図ってのは、表面からアプローチする感じですね。

表面では、僕とあなたの間には、境界線が存在します。

 

 

目で見てわかるように、僕とあなたは別の人です。

だから、意図をもって人を喜ばせようとすると、心には響かないわけです。

 

 

そんなブログって山ほどありますよね。

一見良いことを書いているのだけれど、誰にも響かない。

面白くもなんともないブログは山ほどあります。

 

 

そういうことではないのです。

僕が、僕自身が、感動する。

シンプルに、ココロを震わせて書く。

 

 

すると、それを読んだ人もココロを震わせる。

そういうことって、誰しも経験があると思うのです。

 

 

それは、つまり、僕とあなたには境界線がないからです。

奥底の水脈でつながっていて、僕が響くと、その水脈がバイブレーションを起こし、隣人のココロも震える。

そんな感じです。

 

 

魂が喜ぶ仕事

「かみさまとのやくそく」

ふと、そんなメッセージも降りてきました。

 

 

映画『かみさまとのやくそく』をご覧になられた方も多いと思います。

いわゆる胎内記憶をテーマにしたドキュメンタリー映画です。

「子どもは親を選んで生まれてくる」というメッセージは、私たちに強烈なインパクトを残します。

 

 

でも、間違えないでください。

「かみさま」と約束したのは、「子ども」だけではありません。

 

 

言うまでもないことですが、あなたも「あなたの人生」を選んできたということなんです。

その人生を選んでいるのは、あなたです。

僕は「僕のストーリー」を自分で選び、今なおそのストーリーの真っ只中で生きているのです。

 

 

僕が「僕のストーリー」を生きるとき、「この魂」が喜ぶ仕事をしたいと思いました。

これは何も、ボランティアをしましょう的な、善悪の話をしているわけではありません。

 

 

パンを焼くことが好きな人がパン屋になるように、子どもと過ごすことが好きな人が保育士になるように、僕は僕の好きなことを全力で生きたいのです。

シンプルに言えば、自分自身が喜ぶことを仕事にするわけです。

 

 

それが、魂が喜ぶ仕事です。

 

 

外側を満たすか、内側を満たすか

僕らは、お金に惑わされる生き物です。

あっちに儲け話があれば、あっちに向かい。

こっちに儲け話があれば。こっちに向かい。

虫が光に集まるように、お金に集まる習性があるようです。

 

 

いっとき、ファミレスが乱立し、やがて数を減らしました。

やがて、コンビニが乱立し、やがて数を減らしました。

それから、回転寿司が乱立し、やがて数を減らしました。

 

 

「儲かりそうだ」のメッセージを追いかけ、やがて供給過多となり淘汰される。

本当に「それがやりたいか」ではなく。

本当に「魂が喜ぶか」ではなく。

お金を追いかけてしまう。

そんなところが人間にはあるようなのです。

 

 

 

どれだけお金があれば、充足するのか。

それすらわからず、いつもお金を追いかけてしまう。

 

 

今の収入を失うのが怖くて仕事をやめられない。

そんな人も多いようです。

 

 

お金には何の意識もありません。

ただ、僕らがお金に幻想を抱いているに過ぎない。

 

 

お財布を満たすのではなく、魂を満たしたい。

そんな時代が来ているのです。

 

 

「お金で満たす」って感覚は「評価されたい」「他者に認められたい」という感じに近いものがあります。

全部、外側を満たそうとするものです。

 

 

大切なのは内側。

内側を満たすものなのです。

 

 

パンを焼くことが好きなパン屋さんは、そもそもパンを焼くことが好きなんです。

儲かるとか、儲からないとか。

雑誌に載るとか、載らないとか。

賞をもらうとか、もらわないとか。

そういうことではなく、純粋にパンを焼くことが好きなんです。

 

 

「作るな!」と言われても作ってしまう!

そんな感じです。

だから、そんなパン屋さんに出会うと、僕らは感動します。

 

 

パンを焼くことこそが喜びであり、それをすることで魂を喜ばせている。

そんな感じですね。

決して外側を満たしているわけではなく、内側を満たしているわけです。

 

 

 

着ぐるみ理論

人間って「着ぐるみみたいだな」と思ってるのね。

外見と「中の人」は別人と言いましょうか。

 

 

ディズニーランドのミッキーマウス。

外から見るとミッキーマウスですが、中の人はミッキーマウスではありません(笑)

 

そういう感じです。

 

 

みんなが見ているのは「くればやし ひろあき」ですが、「中の人」は僕ではないのです。

ん?

だんだんわからなくなって来たぞ…。

 

 

いや、そうではなくて、両方とも僕であり僕じゃない…。

つまり、その…、みんなが見ている「くればやし ひろあき」がいますが、「中の人」は僕もあなたも境目がない感じなんです。

 

 

これ、伝わるんでしょうか…。

まあ、いいや。

話を続けます。

 

 

だから、変顔をしてSNSに写真を出そうが、人から批判をされようが、気になりません。

ミッキーマウスを誹謗中傷されても、ミッキーマウスの「中の人」は傷つきませんよね?

そんな感じです。

 

 

ただ、忘れてはいけないのは、SNSの変顔を見て、「なに、この人〜〜っ!」って思う人や、僕の発信を読んで「なんだ、こいつ!」と思う人たちは、まだ奥底の水脈につながっていない人たちなのです。

 

 

だから、着ぐるみの「中の人」がココロを震わせるような仕事をしていくことが大切なのです。

「中の人」が心から楽しんでミッキーを演じるから、人はミッキーマウスに心を躍らせるわけです。

 

 

これ、伝わりますか?

 

 

 

生と死

昨日、ふとこれまで僕が出会い、亡くなった人たちがふわっと浮かんできました。

なんか知らんけど、みんな笑っていて。

一人の若者は、僕に笑顔で「くれさん、すごいっすね」と、あの頃と変わらぬ調子で話してくれました。

 

 

あぁ、ふと、僕は「世界に応援されている」というメッセージを受け取りました。

魂の世界では、生も死もなく、つまり僕とあなたの境目もなく、奥底の水脈でつながっていて。

 

 

魂が喜ぶ仕事をすると、それはこの世界に応援されるということもわかってきました。

世界というか、宇宙というか。

全体…と表現したらいいのかな。

 

 

不幸な死を、僕は勝手に「不幸な死」とジャッジしていましたが、それすらそれぞれが選んできたことで、それはお前が不幸だってジャッジすることじゃないんだぞ、と。

あなたはあなたの選んだ人生を、全力で生き抜きなさい、と。

 

 

そういう意味で、ふとスティーブ・ジョブズの言葉が浮かんできたわけです。

「お前が今日やろうとしていることは、今日が最後の日だとしても、やるべきことなのか?」と。

 

 

生と死の逆目がないとしたら、最後の日もやはり魂が喜ぶ仕事をすると思うのです。

 

 

今日、死神がやってきて「明日、お前死ぬよ」と言われても、僕はそれを笑って受け入れられるように生きていたい。

僕が常々口にしています。

 

 

 

死を意識して生きる。

昔、お葬式でお寺の和尚さんが「生かされている命」というお話をされたんですね。

そのときは、「生きてるんでしょ?生かされてるって何よ?」って感じだったんですがね。

今は、むちゃくちゃ腹落ちするわけです。

 

 

今、生かされてるんです。

んで、どっかのタイミングで終わるんです。

それ、コントロールできないわけでして。

 

 

その生かされている時間に、いかに魂を喜ばせるか、って話はわけでございます。

 

 

魂の喜ばないことをやってる時間が僕らにはない

「やりたいこと」はやりたいし、「やりたくないこと」はやりたくない。

学校に行きたい子は行けばいいし、学校に行きたくない子は行かなければいい。

部活の指導をしたい先生はすればいいし、部活の指導をしなくない先生はしなければいい。

 

 

本当は選べるのに、外的な要因で選べない。

いや、選べないって言ってるのは、あなたなわけでして。

つまり、それすら選んでるわけですけどね。

 

 

あっ、これ、伝わります?

つまり、今の状況を選んでいるのは、シンプルに「あなた自身」なんです。

 

 

人間には、残念ながら…なのか、それとも喜ばしいことに…なのかはわかりませんが寿命というものが存在します。

生物として見ると、確実に僕らはどこかのタイミングで、今世を終了します。

ゲームオーバーです。

平均寿命は90歳弱ですが、そこまで生きる保証はどこにもありません。

 

 

もしかしたら、明日交通事故で死ぬかもしれません。

それはもう、さっぱりわかりません。

 

 

で、残された時間は皆目見当もつかないわけです。

んで、その限られた時間を、魂が喜ばないことに使うってのは、スゲ〜モッタイナイ生き方だぜ、ベイベー♪…と思うわけです。

 

 

まあ、それも、その人がそれを選んでいるだけだから、別に関係ないじゃん…って言われれば関係ないわけですけどね。

魂が震える、魂が喜ぶ、そんな生き方をした方が面白くね〜か?っていう提案だと思って、お読みいただれば幸いです。

 

 

魂が喜んだ瞬間

僕、変な話なんですけど、「学校の先生」をやっていて、ココロが震えるほど…、いや、魂が震えるほどの感動って、たったの2回しかないんです。

あ〜、寂しいとか悲しいとか悔しいとか、そういう感情で涙したことは山ほどありますよ。

 

 

卒業式だって一応は感動しますよ。

ええ、もう、一応、人間なんで。

人並みに感動はします。 

 

 

でも、そうじゃなくて、心の奥底から湧き上がってくる震えっていうのかな。

一度目は、上海日本人学校での2年目。

学級を閉じる日。

1年生だったけどね、なんか魂がワ〜〜っとなる感じ。

 

 

それまで、「先生らしく」振る舞うことを意識してたんだけどね。

その1年は単純に「子どもたちを愛そう」みたいなのがあってね。

児童生徒数1500人からいる学校の生徒指導部長だったけど、教室じゃ一切叱らない。

 

 

ず〜っと笑って、ず〜っとくだらないことを言っているおじさん(笑)

そんな感じ。

 

 

ただ楽しんでる。

それだけ。

そしたらさ、やっぱ学級を閉じる日が違うわけです。

 

 

卒業式でもないのにね。

もう、ぐわ〜〜っと。

あれ、僕の原点。

…って、13年目で原点ってなんやねん!って感じですけど。

 

 

んで、2回目が3年目の学級を閉じた日。

まあ、つまり、翌年ね。

でも、それは生徒じゃないの。

あるお父さんから手紙をもらったんだよね。

 

 

読んで、ぐわ〜〜って。

俺はこのために生きてきたのか〜〜!みたいな(笑)

 

 

あの瞬間、「魂が喜ぶってこういうことか〜〜!!」って感覚がありました。

 

 

でもね、日本に帰国して公立中学校に勤めたら、もう辛くて辛くて。

マジでもう無理…って感じで。

教室はいいんです。

子どもたちはいつも最高です。

職員室にいられないんですね…。

もう、そこにいるのが辛いんです。

 

 

 

僕の魂が喜んでいないことが、丸わかりなわけです。

僕はそれを「卒業の合図」と受け取りました。

 

 

いつ死ぬかわからない僕の人生をですね、魂の喜ばないことに使ってる時間はないわけです。

今の状況が辛いなら、それはつまり、魂が喜んでいないよ、という「お知らせ」だと思うんですよね。

 

 

魂は経験したい。

魂は、人生を味わい尽くしたいわけです。

僕が選んできたストーリーを全部、味わい尽くしたいわけです。

 

 

魂は成長を望んでいて、経験を望んでいます。

だから、一度経験すると、「それはもういいかな?」って感じになるんですね。

 

 

つまりですね、魂は「やりたいこと」をやりたいわけです。

「やりたくないこと」はやりたくないわけです。

 

 

当たり前って言えば当たり前なんですけどね。

ここ1〜2年で、この手のスピッた話を頻繁に聴くようになってきましたな。

 

 

まあ、つまりこの宇宙と言いますか、この世界と言いますか、がそれを求めている時代なんでしょうね。

こうやって、長々と書きました僕ですが、ハッキリ言って守護霊とか、過去世とか、サッパリわかりませんけどね。

 

 

 

まあ、僕が言えるのは一言です。

「やりたいことをやった方がいいんじゃない?」ってことなのです。

スピッた話を書いてみても、結論はいつもと同じです。

 

くればやし ひろあき

・株式会社ミナクル組織研究所 代表取締役

・フォロワー10万人の教育系TikTokクリエイター「くれちゃん先生」としても活躍中。人間関係や教育についての動画を配信

・1978年、愛知県生まれ。16年間公立中学校の教員として3,000人以上の子どもたちを指導。名古屋市内で最も荒れた中学校で生徒指導の責任者を務め、その後、文部科学省から上海に派遣され、当時世界最大の日本人学校であった上海日本人学校の生徒指導部長を務める。

・互いの「ものの見方や感じ方の違い」を理解し合うことで、他者に寛容な社会を実現したいと願うようになり、2017年独立。

・独立後は、教員時代の経験を活かし、全国の幼稚園や保育園、学校などで保護者向け講演や教職員研修を行う。2018年・2019年には、100人のボランティアスタッフを束ね『子育て万博』を主催。今年10月にパリコレクションのキッズ部門を日本に誘致して開催された『Japan Kids Fashion Week2021』において、全体計画及びキッズモデル・ボランティアスタッフ総勢150名のマネジメントを担当。

・2020年11月、「スタッフみんなが、明日も生き生きと来る!」を理念に、株式会社ミナクル組織研究所を設立。経営者、教職員、スポーツ指導者など、組織のトップや人を指導する立場の人たちから依頼を受け、人間関係づくりやチームづくりに関する講演や企業研修、教職員研修を行っている。経済産業省の事業再構築事業として人材分析システムを開発中。