人生は、リスキーな方が面白い!
人生のマックスの給料…
「なぜ、教員を辞めたのですか?」
そんな質問をいただきました。
公務員というのは、ちゃんと給料表に従って昇給します。
それを人は安定と呼ぶのだけれど。
つまりは、僕の定年時の給料はすでに決められているわけです。
簡単にいえば、僕の努力とは無関係に「人生のマックスの給料」が決まっている。
人生はお金がすべてではありません。
でもさ、そのお金によって「行ける場所」も「生活水準」も「付き合う相手」も変わるわけで…。
「すべて」じゃないけど、それもすげ〜大事なポイントだと思っております。
尻拭いは嫌いです。
校長先生まで出世していくコースが出来上がった時点で、僕の中では「この人生」がだんだんおもしろいものではなくなってしまいました。
それから、学年主任になって感じたこと。
「なんか尻拭いばっかじゃん」
まあ、そんな話を管理職の先生にしていたら、
「立場が上がるほど、そういうことが増えるんだから仕方ないよ」
と言われました。
まあ、はっきり言って、「ごめんだね」と思いました。
ある校長先生とお話していたときのこと。
「校長先生になれば、理想の学校が作れますか?」と尋ねたんです。
「いや、所詮は店長だよ…。今ある駒で、問題を起こさず乗り切るのが精一杯かな…」
そんな言葉は聞きたくなかったけれど、なんとなくわかる気もしました。
教員の起こす不祥事のニュースで、頭を下げている教育委員会の先生や校長先生を見ると、そんな気持ちもよくわかりました。
その後の人生
そのうえ、僕の地元では退職した校長先生は、高等学校の先生に再就職することが多くあります。
高校と中学校の橋渡しとなって、営業活動をします。
いわゆる渉外担当ですね。
これは、「全国的に」ではないようで、他府県の先生にお話したら驚かれました。
で、現役時代、あれほど偉そうだった校長先生が、翌年こんな若造の僕のところへ手土産持参でやってくるわけです。
「先生〜、どうか今年も本校に生徒をお送りくださいね〜」
愛想笑いを浮かべながら頭を下げにやってくるわけです。
なんか、そんな姿を見て、またテンションが下がるわけです。
エンディングのわかっている映画はつまらない。
若いころは「校長先生になりたい」と思っていました。
(校長先生になれば、もっと自由に学校をデザインできる)
そう思っていました。
でも、少しずつキャリアアップするにつれ、
(どうやら、そうでもないらしい…)
そんなことに気づかされてしまいました。
そうなると、もうワクワクしないわけです。
ネタバレした映画を観に行く気分です。
犯人がわかってるサスペンスです。
先に種明かしからしてくれる手品です。
そんなわけで、たった一度の人生です。
ワクワクしたくないですか?
やりたいことをやりたいだけ
リスクを負ってでも、僕は「僕の名前」で勝負がしたいと思いまいた。
どこまでやれるのか、試してみたかった。
講演会の主催も、クラウドファンディングも。
ワークショップの開催も。
教員を続けながらでは、なかなかエネルギーがかけられません。
「今を生きる」ということに全力でありたい。
もちろん、校長先生として「学校現場」で必死にがんばっている友人もいます。
それぞれの人生があり、それぞれの人生設計があります。
そこに「良い・悪い」も、「優・劣」もありません。
ただ、僕はそういう生き方がしたかった。
それだけのことなのです。
人間は生まれたら必ず死にます。
致死率100%です。
だからこそ、「生きる」ということに向き合っていたいと思います。
後悔だけはせぬように。
「あれをやっておけばよかった」
「これもやってみたかった」
「あそこにも行ってみたかった」
「これも食べてみたかった」
そういうものをつくらぬように生きて生きて生き抜きたいのです。
創造的な人生を生きるためのしつもん
どんなリスクを負っていますか?