見たいように子どもを見てはいませんか
子どもたちを自分に都合よく見てはいないですか?
人間は、自分に都合よく、周囲を見つめます。
自分に都合よく解釈しているとも言えます。
たとえば、
提出物が出せない子。
忘れ物が多い子。
この状態を招いているのは先生だ!
なんて言われたら、辛いですよね。
だから、私たちは、自分に都合よく解釈します。
親が悪い。
育て方が悪い。
地域が悪い。
本人に問題がある。
そうやって、自分以外に問題を見つけると、とっても楽になります。
ところが、その見方では何ひとつ良い方向には変わっていきません
このような解釈をすると、私たちが手を入れるべき対象は「親」であり、「育て方」であり、「地域」であり、「本人の抱える問題」となってしまいます。
ところが、そんなものを変えられる力は私たちにはありません。
手の施しようがないことに、理由を求めると、実は楽になります。
結局、都合のよい解釈は、子どもたちを叱るだけでなにもしないという無責任な指導者を生み出しているような気がするのです。
子どもたちを「ありのまま」に見る
都合のよい解釈を交えず、事実を淡々と眺める。
どうして、この子は提出物が出せないのか。
どうして、この子は忘れ物が多いのか。
そして、「僕にできることはなんだろうか」と、子どもの姿に寄り添って考える。
それができるのが「ハッピーな先生」なのだと思います。
ハッピーな先生になるためのステップ
ありのままに「子どもの姿」を見つめること