一人で子育てをするなんて人間のすることじゃない!
ゴリラの子育ては、実に6年間にも及ぶのだそうです。
お母さんゴリラは、6年間子育てに専念し、我が子が大人になるまで妊娠できる身体部がならないのだそうです。
子育てを終え我が子が手から離れると、そこでようやくゴリラのお母さんは妊娠できる身体へと変化します。
一方、人間のお母さんはどうでしょうか。
出産から1年後には赤子を宿すことが可能な身体へと変化していきます。
わずか1年です。
人間の赤ちゃんは、1年経っても赤ちゃんのまま。
他者の加護なしには生きられぬ存在です。
それなのに、母親は次の赤ちゃんを妊娠できるのです。
僕ら人間は、「動物」というジャンルで考えた場合、知的ではあるけれど大変か弱い生き物といえます。
鋭い牙も爪もない。
陸上を颯爽と走ることも、水中を素早く動くこともできます。
木登りが得意なわけでもありませんし、空を羽ばたくこともできない。
元来、命の狙われやすい生き物は多産です。
多く産まねば種を保つことができないのですから仕方ありません。
そんなわけで、人間のお母さんは子どもが赤ちゃんのままでも、次の子どもを宿すことが可能なのです。
このことは、何を意味しているでしょうか。
それは、人間という生き物が母ひとりでは育てることができないことを、如実に表しているのです。
助けてもらわねば、人を育てることなどできない。
神様なんてものを僕は信じてはいないけれど、これはきっと神様の粋な計らい。
人間はそのようにデザインされた生き物なのです。
ですから、母親がひとりで育児を担う「ワンオペ育児」などは、生き物として大変不自然な育児なのです。
ところが、この国はまだまだ「女性」が育児と家事の負担を担う文化があります。
この令和の時代になってもなお、「男は外、女は内」と考える馬鹿者がいます。
男女共同参画などと申して女性に社会進出を促したわりには、男性に家庭進出を促していないのです。
社会的な役割も家庭的な役割も、男女のどちらもが担うべきだと考えます。
少し話題を変えましょう。
四足歩行の動物を思い浮かべてみてください。
彼らは物を運ぶ際、口で物を咥えて移動します。
ですから、犬などは口が前に飛び出た形状をしているのです。
この形は発声には適していません。
僕らの祖先が森を追い出され、草原で生きることを強いられたとき、四足歩行から二足歩行に進化したと考えられています。
それは、他の動物に対して身体を大きく見せることで外敵から身を守るためのすべだったのでしょう。
すると、両手で物を運ぶことが可能となります。
進化の過程で人間の口の形状は動物らしい飛び出た形から現在の人間のように口腔内が広がった形状へと変化していきました。
この形状の変化が、僕らに高度なコミュニケーション能力を与えます。
発声に適した形になったため、発声で意思を伝えることが可能になったのです。
か弱いがゆえに二足歩行となり、二足歩行になったからこそコミュニケーションを手に入れたのです。
僕らはか弱い。
か弱いからこそ、このコミュニケーション能力でもって、助け合わねば生きていけないのです。
僕ら人間は、他者を信頼し、我が子を他者に託すことができます。
こういうことができる生き物は、大変珍しいことです。
他者に頼るということは、あなたが弱いわけでも、「できない母親」というわけでもありません。
それは他者に対する「信頼の証」なのです。
あなたがお腹の中で育み、そして産み育てたかわいい我が子を信頼できる人に託す。
そんな行為なのです。
そして、人間を生き物として考えた場合、とても自然な、ごくごく自然な行為なのです。
託すことを恐れないでください。
罪悪感を感じないでください。
少子高齢化は社会全体が抱える大きな課題です。
あなたがお母さんをしていることは、社会全体への貢献です。
そんなあなたを、社会全体が守ることは当然のことではないですか。
ですから、頼ればいいのです。