ある知的障害を抱えたママの言葉〜変えられないことを受け入れて、変えられることを変えてみる〜


実は今、子育てのどん底にいる気持ちです。末っ子の知的障害がわかり、3歳過ぎた今も喋りません。自閉症もあると思います1年間親子で療育に通い、保育園に4月から行き始めましたが、集団で何かするということも難しいです。

「自閉症はテレビが作る」とか「発達障害は治る」とか、有名な学者さんが書いている本を読んで実践してみて、どこまでが変えられることで、どこまでが変えられないことなのかうやむやになって苦しいんだな、と言うことがわかりました。

子どもが生まれてくるとき、僕らはきっと、健康に生まれてくればいい、それだけを願いました。

生まれたら生まれたで、寝返りを打つのが早いか、遅いかに一喜一憂し。

ハイハイするのが早いことを喜んだり、立つのが早いことを喜んだり。

 

 

学校に行けば、人よりもちょっとでも優秀なことを望み、ちょっとでも運動能力が高いことを望み。

受験をすれば、ちょっとでも偏差値の高いことを望み、ちょっとでも良い就職先を望み。

結婚相手に連れてきた男性、もしくは女性は器量の良い人がよく。

 

 

あれ?ちょっと待って。

生まれてくるときは、健康に生まれてくればいいと願っていたはずなのにね。

 

親の欲に際限はなく。

他の子と比べて、もっとがんばれ!もっとがんばれ!ってやってしまう。

 

 

僕はいつも、そのままでいいじゃないですか?と伝えている。

それぞれにいろんな個性を持っている。

僕はその個性とやらを初期設定と呼んでいて、「変えられないもの」と考えている。

 

 

この初期設定を変えようとすると、親として苦しむし、子どもとしても変えられないものを変えようとされるのは、とても辛いことだったりする。

 

 

ウチの娘はダラシない。

まー、仕方ないじゃないかと思って、床に落ちているゴミを拾ってやる。

 

 

まー、そこは仕方ないじゃない、と思うと幾分楽になる。

ただし、幾分である。

でも、それを直さなきゃ、変えなきゃって思うよりは、心の平穏は保ちやすい。

 

 

「発達障害が治る」という話は初耳だけど、僕は3000人以上の子どもたちと出会ってきた。

現場の肌感覚で言えば、「治る」という表現はなんか違う気がする。

 

 

その特性は変わらないけれど、本人が上手に折り合いをつける方法を学んでいく、という感覚に近い。

集団の中でうまくやれるようになる、に近い。

 

 

中1のとき、トラブりまくってたやつが、中3にもなるとうまくやれるようになる。

それは「治った」というよりは、「成長した」だけで、持って生まれた特性はなんら変わっていなかったりする。

 

 

「こういうときはこういうことに気をつけなきゃな」と本人が意識するようになる。

たぶん普通に生活している子は意識しなくてもできることを意識しないとできない、そんな感じ。

 

 

たとえば、この場面で大きな声を出しちゃいけない、みたいなことってある。

そういうところで大きい声を出しちゃう。

 

普通はなんとなく、ここは静かにしなきゃな、って無意識に気づいて、静かにする。

でも、そこは意識して静かにしようとしなきゃできないわけね。

 

経験を通して、今は静かにしなきゃな、って学ぶ。

そうやって、社会と上手に折り合いをつけていく。

ソーシャルスキルを身につけていく。

 

だから、「治る」という感覚のように、その特性が劇的に変わるのとは、なんか違う気がする。

成長とともに社会に馴染む、という感覚に近い。

 

だから、子どもが小さい頃はすごく大変で、絶望的になって、真っ暗に見える。

でも、人は必ず成長する。

成長すると信じて寄り添う。

これが大切だと思う。

 

 

これをしたら劇的に変わる、という特効薬のようなものはない。

でも、人は必ず成長する。

成長するという希望だけが光になる。

 

 

大切なことはね、変えられることと変えられないことに明確な線を引くこと。

その子の持って生まれたものは変えられない。

 

彼が成長して、上手に折り合いをつけられるようになるけれど、感覚的なものは変えられないと僕は思う。

その変えられないものを変えようとすると、子どもは自分が否定されたように感じる。

初期設定にバツをつけるのはそういうこと。

 

 

でも、変えられることはいっぱいある。

声の掛け方、子どもを取り巻く環境、あなた自身を取り巻く環境。

その子を取り巻く周囲のことはいくらでも変えられる。

それをできる範囲ですればいい。

 

 

でも、これ、できる範囲でいい。

無理をしないことが大事。

できることしかできないんだから、できないことはやろうとしなくていい。

いつだって、できる範囲でがんばることが大事。

 

 

変えられないことは、受け止めるのがいい。

「あきらめる」に近い感覚。

「あきらめる」という言葉はネガティブに受け取られがちで、「私はあきらめたくありません」とか言われるんだけど。

「あきらめる」の語源は「明らむ」という。

「明らかにする」という意味。

 

 

この子はこの子のままでいい。

その初期設定を受け入れた上で、この子が成長しやすい環境を用意してあげるといい。

変えられることと変えられないことがある。

 

 

僕らはいつも変えられないことを変えようとして迷うし、悩むのだけど。

変えられないことを受け入れて、変えられることをどんどん変えていく方が人生はクリエイティブだ。

僕はそんなことを考えている。

くればやし ひろあき

・株式会社ミナクル組織研究所 代表取締役

・フォロワー10万人の教育系TikTokクリエイター「くれちゃん先生」としても活躍中。人間関係や教育についての動画を配信

・1978年、愛知県生まれ。16年間公立中学校の教員として3,000人以上の子どもたちを指導。名古屋市内で最も荒れた中学校で生徒指導の責任者を務め、その後、文部科学省から上海に派遣され、当時世界最大の日本人学校であった上海日本人学校の生徒指導部長を務める。

・互いの「ものの見方や感じ方の違い」を理解し合うことで、他者に寛容な社会を実現したいと願うようになり、2017年独立。

・独立後は、教員時代の経験を活かし、全国の幼稚園や保育園、学校などで保護者向け講演や教職員研修を行う。2018年・2019年には、100人のボランティアスタッフを束ね『子育て万博』を主催。今年10月にパリコレクションのキッズ部門を日本に誘致して開催された『Japan Kids Fashion Week2021』において、全体計画及びキッズモデル・ボランティアスタッフ総勢150名のマネジメントを担当。

・2020年11月、「スタッフみんなが、明日も生き生きと来る!」を理念に、株式会社ミナクル組織研究所を設立。経営者、教職員、スポーツ指導者など、組織のトップや人を指導する立場の人たちから依頼を受け、人間関係づくりやチームづくりに関する講演や企業研修、教職員研修を行っている。経済産業省の事業再構築事業として人材分析システムを開発中。