無視をする店員さんの正体 〜なぜよく動けるアルバイトと動きの悪いアルバイトがいるのか?〜
家族旅行でイタリアンレストランに行ったときのことだ。
1時間ほど待たされて、ようやく案内された席で夕食のメニューを選んでいた。
店内は大変混み合っており、店員さんはやや少ないかな?という印象。
食べログの評価は悪くないお店だった。
注文するメニューが決まったので、近くにいたひとりの女性店員に声をかけた。
「すいません。注文よろしいですか?」
そう尋ねる僕に彼女は、「少々お待ちください」と言って、立ち去っていった。
それから、5分。
その店員さんが来る様子はない。
スタッフの動きを見ていたけれど、(忘れているのかもしれないな)と思い、通りかかった男性店員に、「注文いい?」と声をかけた。
返事をした彼はすぐに注文を取りにきた。
それからしばらくは食事を楽しんだ。
ピザやパスタはもちろんのこと、サラダもボリューミーで美味しいレストランだった。
グラスの水がなくなった次男坊が「お水を飲みたい」と言うので、通りがかった店員さんに「お水をください」と声をかけた。
それは先ほどの彼女だった。
「少々、お待ちください」と言って、彼女は通り過ぎていった。
しばらくは食事を楽しんでいたが、なかなか水が来ないので、僕の手付かずのコップを次男坊に手渡した。
この春、高校生になった娘も水がなくなり、「忘れられてない?」と言うので、近くの店員さんに声をかけたところ、すぐにお水を持ってきてくれた。
果たして、3回目。
また、お水がなくなった。
また、近くにいたのは例の彼女である。
「すいません、お水ください」
彼女は無視をした。
「すいません、お姉さん!」
彼女はまた無視をした。
「あの、、、聞こえてますよね?」
じっと立ったまま考え事をしていた。
忙しそうな雰囲気だけど、何もしていなかった。
フリーズしている、そんな感じ。
それはお客様の視点で見れば、無視しているように見えた。
少しだけイラッとした僕は一言、
「ねーねー、聞こえてるでしょ?」
と尋ねた。
彼女は顔をあげ、
「少々、お待ちください」
と言った。
僕はため息をついた。
その瞬間、別の女性が飛んできて、
「お水ですか?」
と尋ねたので
「お水ください」
と伝えた。
はい、ただこれだけの話。
僕は揉めるつもりはない。
確かに、店員さんは少ない。
大忙しだから仕方がない。
忙しいのはすべての店員さんが同じ。
だが、ささっと対応する店員さんと、無視をする店員さんがいたわけだ。
忙しいから声をかけてはいけない。
忙しいから無視をしてもいい。
それだと、お客さんはいなくなってしまう。
で、僕はその、無視をした店員さんを糾弾したくて、ブログを書いているわけではない。
僕はむしろ、彼女に興味があった。
なぜ無視をするのか。
僕にとってこれは、とても興味深い事象なのだ。
じっと観察していると、彼女は決してサボっているわけではなかった。
次々と入る注文。
完成した料理を運ぶことで手一杯なのだ。
他の店員さんは、完成した料理を運ぶ。
運んだついでに、食べ終わった皿を下げてくる。
その過程で、「注文いい?」と尋ねられたら、注文を取る。
「お水、ちょうだい?」と言われたらお水を運ぶ。
そして、戻ってきたら、また料理を運ぶ。
一方、彼女は「料理を運ぶこと」に必死である。
お客さんから声をかけられても「少々お待ちください」と言って、お料理カウンターに立ち、その料理をひたすら出していた。
他の仕事には目もくれず、ただただ運んでいたのである。
だから、彼女が担当するエリアは、食べ終わった皿が机の上を占拠していた。
イライラしたお客さんに呼ばれて、遠いエリアを担当する店員さんが、「おーい!」と声をかけられ長距離移動を強いられていた。
時折、店の外は長蛇の列なのに、中に入ってみるとお客さんはスカスカ。
テーブルに食べ終わった皿が載っていて、片付けが追いつかないために、お客さんが入れられない飲食店を見かける。
まあ、そんな感じ。
あれもこれも、はできないタイプなのだろう。
「料理を運ぶ」「注文を取る」「お皿を片付ける」という、いくつかタスクに対して臨機応変に対応できないのだ。
それでこういうタイプの子に、「あれもしなさい、これもしなさい」と言えばパンクしてしまう。
訓練の問題ではなく、そもそも「そういうこと」は得意ではないのだ。
さて、この話からあなたは何を感じただろう?
彼女個人の話で言えば、「料理を運ぶ」というシングルタスクならば動けるが、「料理を運ぶ」「注文を取る」「お皿を片付ける」という、いくつかタスクに対して臨機応変に対応できないという自分の「自分らしさ」を知ることだ。
それを知ったうえで、「業務」を選ぶといい。
いくつかのタスクがある仕事が向かないのであれば、おそらく飲食店のフロアは向かない。
臨機応変に様々なお客様からの要望に対応しなければならないからだ。
一方で、例えばファストフード店のバックヤードでは、決められたことを決められたようにすることを求められる。
むしろ、求められたことに自分なりのアレンジを加えられては困るわけで、「これをやって」と言われたら「それをやること」が重要な仕事もある。
要するに、自分を知ることで自分の咲き場所を選ぶことが重要だよ、という話。
また、お店側の視点に立てば、そういう店員さんがいることで、他の臨機応変に対応できる店員さんの心理的負担感が増すことになる。
よく働く人間にとって、「働かない人の存在」はモチベーションに悪影響を与える存在なのだ。
一見、フロアの対応の方が「誰にでもできそう」な印象を受けるが、そうではない。
一つ一つの業務はそれほど大変ではないかもしれない。
水を運ぶ。
注文を取る。
料理を運ぶ。
皿を片付ける。
レジで会計をする。
そう、一つひとつは誰でもできる内容である。
だが、それらを同時進行で、優先順位をつけて行動することが難しいのだ。
優先順位をつけることが難しい人は、仕事の要領が悪く見える。
だから、もしかしたらこのお店の場合、仕事の要領の良い子にインカムを持たせて、「お水を○○テーブルへ」「○○テーブルのお皿片付けて」と指示を出せる人が必要なのかもしれない。
采配を振るう人が必要なのだ。
そんなことを考えながら、お店を眺めていた。
決して彼女を責めているわけではない。
苦手な場所で懸命に咲こうとしている姿は、とても痛々しくもあり、またとても気づきの多い時間でもあった。