「おかげさま」を忘れたとき、人間関係は壊れる
妻が神奈川県へ出張に出掛けている。
彼女は中国茶の先生で、お茶会を開いている。
先日、お手伝いさせていただいたJapan Kids Fashion Week2022の運営委員長の田中さんの奥様、リンさんの素敵な茶房でお茶会をさせてもらっている。
それで、新幹線の駅まで車で送っていったのだけど、そのときした夫婦の話をシェアしておきたい。
そのお茶会は、リンさんの茶房を借りて、妻が人を集めてお茶会をしている。
こういうとき、リンさんが私の茶房を使わせてあげている、と考え、妻が人を集めてあげている、と考えたら、人間関係って破綻するよな、って話をしていた。
妻はリンさんから茶房をお借りしているし、リンさんは妻が人を呼んできて茶房を使ってもらえることを喜んでいる。
そういう構図じゃないと、人間関係ってうまくいかないわけで。
たとえば、旦那さんが「俺が働いてやってるんだ」と思い、妻が「私が家事をやってあげてるんだ」と思うと、やっぱりうまくいかなくて。
旦那さんは「奥さんが家のことをやってくれるから、自分は外で働けるのだ」と思い、奥さんは「旦那さんが外で働いてくれるから、自分は家のことがやれるのだ」と思うからうまくいくわけだ。
ビジネスの話でいくと、「商品を作る人」と「商品を売る人」がいて、「商品を作る人」が「俺が作った商品が良いから売れてるんだ」と考え、「商品を売る人」が「俺が売ってやってるから商品が作れるんだ」と考えたら、やっぱり破綻するわけでして。
商品を作ってくれる人に「ありがとう」だし、商品を売ってくれる人に「ありがとう」なのだ。
実ほど頭を垂れる稲穂かな、という俳句が好きで、よく我が家で話題になる。
我が子たちは、稲に関わる名前が多い。
謙虚でありなさい、が我が家のモットーなのだ。
やってることは同じだけど、「自分のおかげで」と思うのか、「相手のおかげで」と思うのかで、人間関係はガラリと変わるわけだ。
だから、駅までの車の中で、「田中さんとリンさんへの感謝だけは忘れちゃダメだよ」みたいな話をした。
そうそう、僕はJapan Kids Fashion Week2022のお手伝いをした。
でも、僕の中では「お手伝いをしてあげた」ではなく、「お手伝いをさせていただいた」と思っている。
そこでの経験はかけがえのないものだったからだ。
いつも心の中に「おかげさま」を置いておきたい。
「自分のおかげで」なんていう傲慢な心が生まれたら、そのときが僕の落ちていくときだと思っている。
自分のために何かを良いことをしてくれる人にも、自分にとって悪いことをしてくる人にも、僕は手を合わせて「ありがとう」と思って生きている。
良いことをしてくれる人の応援は背中を押してくれる。
悪いことが与えてくれる困難は、僕を成長させてくれる。
だから、いつも「おかげさま」で生きている。